1:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:26:23.41 :5a2tL1YF0

「……の、乃々ちゃんは…どうして、アイドル……やめないの…?」 


純粋な疑問。 

その言葉は、私に投げかけられて当然の一言で、何の不思議もない一言。 
私を少しでも知っているような人なら、自然と浮かんでくる、言われて当然の一言。 
数日前の私なら、数週間前の私なら、数か月前の私なら、ほんの少し前の私なら。 
いつものように、狼狽え、戸惑い、誤魔化し、逃げていただろう。 

でも、今は違うから。昨日の私とは違うから。 
胸を張って、こう言えるんだ。 


「――― 


――――――――――――――― 
―――――――――― 
――――― 


2:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:27:07.61 :5a2tL1YF0

「おはようございます……」 


視線を下に下げ、小さな声で挨拶をしながら、事務所の扉を開ける 
扉の向こうは決して大きいとは言えない事務室で、いつもと同じ光景が目に入る 
散らかったデスク、黒いホワイトボード、来客用のソファーに、ファイルだらけの大きい棚 

音を立てない様に、静かな足取りでその中を進む 
少し奥に入ったところで、いつもの男性が声を掛けてくる 


「おはよう、乃々」 


パソコンの前だけは整理されている、デスクの前に居座るスーツ姿の男性 
私のプロデューサーさん 

声を掛けられ、少し遅れて返事をする 


「……あ、お、おはようございます…」 


3:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:27:55.27 :5a2tL1YF0

相変わらずのたどたどしい挨拶に、自ら嫌悪感を抱く 
視線を合わせることも出来ないのか、もう少しでも大きい声を出せなかったのか 
今更考えても仕方ないような後悔が、胸の中に奔る 


「ああ。それじゃ、今日のスケジュール――――」 


そんなことを考えている内にプロデューサーは、今日私がやるべきことについての説明を始める 
後悔をしてても仕方ない、聞き逃さないようにちゃんと話を聞かないと 



プロデューサーの説明が終わる 
聞き逃しが無いか、問題点や気になる箇所がないかを確認される 
私は一つ一つに拙い返事をし、何とか今日のスケジュール確認を終えた 

それを確認した私は、いつもの一言を放つ 


「……あの、お仕事……行きたく、ないんですけど……」 


4:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:28:56.08 :5a2tL1YF0

お仕事には行きたくない 
それは私の本心で、包み隠さずいつもの通りに伝える 
雑誌のインタビューも、バラエティの撮影も、音源の収録も 

行きたくない 

本当は此処にだって、来たくは無かった 
学校から直帰して、自分の部屋で、布団に篭りながら好きな少女漫画を読んだり、そのまま寝ちゃったり 
華やかな舞台じゃなくって、静かな場所で寝ていたかった 

それでも此処には来るしかなかった 
来るしかないから来た 
それは偽りじゃなくて本当の気持ち 

それでも、返される言葉はいつもと同じ 


「だめ。今日はレッスンに軽い仕事だけだから、頑張れ」 


うん、いつも通り。当たり前だ 
ただ、『行きたくないから』という理由だけで仕事を休ませる訳はない 

そんな上司なんてどこにもいない 
私が同じ立場でも、それで帰すような真似はしないだろう 

「……わ、分かりました…」 


納得のいかない了承を、いつもの通りに吐き捨てる 


5:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:30:14.15 :5a2tL1YF0

抵抗しても、どれだけ駄々をこねようと、結局はお仕事に行くことになる 
だから諦め了承の返事をして、振り返り視線を下げ、重い脚を動かしてソファーに座る 
これがいつもの光景 
嫌々事務所に来て、いつもと同じやりとりをして、辛いままお仕事をする 

そんな日常を繰り返している内に、私の中には疑問が生まれた 


『本当に嫌なら、逃げ出しちゃえばいいのに』 


そんなことを思い始めたのは、今ではなく、最近でもない 
私がアイドルになってから、毎日、毎晩、ずっとそう思ってきた 

それでも逃げ出さない理由は、自分でも分からない 
嫌なのに、嫌なのに 
逃げ出しちゃいたいのに、私はアイドルを続けている 


6:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:31:40.13 :5a2tL1YF0

そもそもアイドルになったのは、私の意志からじゃない 
両親が勝手に応募して、いつの間にかアイドルになっていた 
最初の内は反発もした 

『どうして勝手に』 

いつもそう言っていた 

両親は私を溺愛しているようで、可愛い子には旅をさせよと言わんばかりに応募したらしい 
そのせいで、私はこんな日常を送ることになっている 
ここで知り合ったお友達もいるけれど、頼れる人もたくさんいるけれど 
皆と一緒にいるのは、とても楽しいけれど 
それでも嫌な気持ちは変わらない 

何て心の中で思っていても、私は行動に移さない 
何故かは分からない 

逃げ出しちゃえばいいのに、逃げ出しちゃえばいいのに 

何度も、何度思っても 
私は逃げ出さない 
それが分からない、矛盾している 
分からないから、理解出来ないから、放っている 

………そんなことを考えていると、もう時間だ 


行かなきゃ 


7:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:33:31.44 :5a2tL1YF0

偽りに煙る街の騒めきに、気が滅入る 

レッスンが終わって、たどたどしい別れの挨拶を終えた私は、事務所の外へ出ていた 
日はもう落ちていて、空には瞬く星と半分だけの月 
人の群集に混じり鳴り響く、甲高いカラスの鳴き声 

帰りの電車に乗って、窓の向こうに映る街を眺める 

特に何も考えず 
半分意識は無くなって、今私は夢の中にいるんじゃないか、何て錯覚を始める 
けれど、イヤホンから頭の中に流れ込むいつもの音が 
私を今に留める 


8:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:34:47.61 :5a2tL1YF0

次の日も 

その次の日も 

週を跨いでも 

カレンダーが捲られても 


私の頭の中はずっと同じ 


行きたくない、帰りたい 
行きたくない、帰りたい 
行きたくない 


どうして、行くんだろう 
どうして、逃げ出さないんだろう 
どうして、 



いっそ、逃げてみようか 


一度実行してみれば、少しは変わるんじゃないだろうか 


9:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:36:58.21 :5a2tL1YF0

行動に移るのは早かった 
今日の私はいつもと違った 
きっと、限界が来たのだろう 
心の隅っこからいつもと違う、私のものではないような、勇気と言えないような勇気が溢れて止まらない 

逃げよう 


そう思ったら、もう既に動いていた 
朝、事務所前で目先を右にやる。合わせて身体をそっちに向けて、ひたすら歩き続ける 
数分も歩けば、そこはもう知らない場所で、新鮮な景色に前を向きながら歩く 


錆びた自販機、昔ながらの駄菓子屋 
元気に足を動かし中へ入る数人の子供達 
皆で笑いあいながら、両手にたくさんのお菓子を抱える 

蒼い川、盛り上がる碧の丘 
カップルらしき青年と少女が、身を寄せ合って水を眺めている 
少女が笑うと、青年も笑った 

小さな公園、複数の遊具 
人っこ一人いない寂れた公園 
私はその公園を前に立ち止まり、振り返ることなく足を踏み入れた 


10:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:38:43.27 :5a2tL1YF0

もう、お日様も落ちかけていた 
一人ベンチに腰掛けて、人も通らない草木で満ちた通りを眺める 

プロデューサーさん、怒ってるかな 
今日のお仕事、どうなったかな 
皆に迷惑、かけちゃったかな 

今更な後悔が押し寄せてきて、胸が苦しくなる 
指先が熱くなり、視界は狭まって、躰が強張る 

どうしよう 
どうしよう 

頭の中に謝罪の言葉を連ねる。出てくる言葉は皆同じ 

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい 

それしか思い浮かばない、それ以外にいうことがない、何も分からない 
熱い、熱い、目が熱い 


「ごめんなさい……」 


目からは雫が、口からは音が、一緒に堕ちた 


11:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:39:48.14 :5a2tL1YF0

「乃々」 


顔を上げる 
いつもの声、いつもの格好、いつもとは違った顔 
冷静な顔で、それでいて険しい表情をする、私のお父さんだ 
隣には、今にも泣きだしそうなお母さんもいる 

声は出なかった 
口から漏れるのは嗚咽だけで、瞳からは涙も溢れる 

お父さんとお母さんが近づいてきて、隣に座った 



炸裂音 

お母さんが右手を上げ、私の頬を叩いた 
でも、痛みが来るより先に、お母さんの温かみが私を包む 

お母さんは私を叩き、そのまま抱きしめた 
強く、強く、抱きしめた 


12:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:41:17.90 :5a2tL1YF0

「Pさんから連絡があった。どうしてこんなことをしたんだ?」 


「…………わ、わから、ない……から…」 


お父さんは黙って私の話を聞いている 
とても聞きやすいとは言えない、嗚咽混じりの涙声を、ただただ黙って聞いている 


「………どう、して…アイドル、やめない、のか……」 

「にげたい、のに……にげないのも…」 

「いや、なのに……いやなのに……わかんない……」 


嗚咽が強まる 
視界は遮られ、世界が歪む 


13:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:42:39.16 :5a2tL1YF0

「乃々は、期待に応えたいんじゃないのか」 


期待 


期待?誰の期待? 


「お母さんと、お父さんの期待に」 



あぁ 

そういうことなんだ 

私は、二人の期待に応えたかったんだ 
抱えさせられた期待に 
二人の為に、二人を落胆させないように、私はアイドルを続けていたんだ 
だから逃げたくても、やめたくても、二人のことが大切だから、二人を失望させない為に、アイドルを辞められなかったんだ 


14:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:43:41.79 :5a2tL1YF0

「最初に言ったな、辞めたかったら辞めてもいいって」 

「でも、お前は今もアイドルを続けている」 

「俺達の期待に応える為に、頑張っている」 

「無理に頑張っている」 

「ごめんな」 

「無理にやらせて、ごめん」 

「お父さん達が、身勝手すぎた」 

「期待に応えなくったっていい」 

「辛かったらやめてもいい」 

「乃々に任せる」 


私は 

私は…… 


15:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:44:41.79 :5a2tL1YF0

私は、辞めない 
アイドルを続ける 

二人の期待に応える為に 
私を生んでくれた、二人の為に 

期待に応えて、恩返しをする 
それが、子供の責任だと思うから 

包み隠さず、本心を伝えた 



「そうか」 


「分かった」 


お父さんが、私を抱きしめる 
ゴツゴツとした大きな手が、頭に触れる 
大きな体と長い腕で、お母さんと一緒に私を包み込む 
それはとても安心できて、とても幸せだった 

私はもう泣いていない 
今、全てに納得できたから 
ただ、ただ 

二人の暖かさに、優しさに、愛に包まれて 


暮れ行く空、からかう風 
二人の手は冷たいけど 

放さないで、歩いていたい 


一人じゃない 

一人じゃない 


16:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:45:19.36 :5a2tL1YF0

――――― 
―――――――――― 
――――――――――――――― 


「―――皆の、ため、です」 


お昼休み、学校では唯一の友人である同級生と食事をしていたら、そんなことを聞かれた。 
似た者同士は惹かれあうのか、私にとても似ていて、内気な娘。 
友人と言うほどにコミュニケーションを取っている訳ではなく、一緒にいても話すことは滅多にない。 
でも一人じゃ寂しいから、食事はいつも一緒に食べるような、そんな仲。 

そんな友人が、珍しく質問を投げかけてきた。 



「……そ、そっか…」 


「……はい…」 


「……お、応援…!してる……から」 


「………ふふっ……ありがとう、ございます」 


17:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:46:20.26 :5a2tL1YF0

『どうしてアイドルをやめないのか』 


今の私には、その理由が明確に分かっていた。 

お父さん、お母さんの期待に応えるため。 

でも、今はそれだけじゃない。 

プロデューサーさん、ちひろさん、トレーナーさん、事務所の皆……そして、私のファン。 


全ての期待に応えるために、私は頑張る。 
今でもお仕事は辛いけれど、レッスンは大変だけれど、人と話すのは苦手だけれど。 
それでも、それでも。 


お仕事を終えたら、プロデューサーさんが褒めてくれて。 
事務所に帰れば、ちひろさんが出迎えてくれて。 
携帯を見ると、輝子さんや美玲さんからの連絡が入っていて。 
笑いながら、一緒に帰って。 
家に着けば、お母さんの声が聴こえて。 
そして、お父さんが帰ってきて、三人でご飯を食べて。 
一日を終える。 


辛くて、大変で、嫌だけど。 
それでも、少し幸せだから。 


いつもと同じセリフも、少し笑って言えるんだ。 

皆と、私の幸せの為に、私は頑張る。 
この夢みたいな世界を、私は生きる。 


夢の向こうまで、私は旅を続ける。 
皆を連れて。 


18:◆5/VbB6KnKE:2015/03/06(金) 19:48:00.97 :5a2tL1YF0

おしり 
本日はアニメ第8話だ!皆丸太は持ったな!行くぞォ! 
前作です 


元スレ
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