1:2013/06/09(日) 16:55:27.32 :sFJRaXSc0

アイドルマスターシンデレラガールズより、岡崎泰葉のSSです。


2:2013/06/09(日) 16:55:57.36 :sFJRaXSc0

初めて会ったときのこと……ですか。 
覚えてますよ、もちろん。 

今までのことは、全部覚えてます。 

私とプロデューサーとの最初の出会いは、現場でのことでした。 

5月の、初めくらいのある日。 
今でもライブのときにはお世話になる、例の劇場で、です。 

その頃にはもう、私がアイドルになってから、しばらく経っていました。 

私は子どもの頃から、モデルや子役のお仕事を通して、芸能界に生きてきました。 
アイドルの活動を始めたことに、何かきっかけがあったわけじゃありません。 

……ここからはアイドルの活動、なんて、きちんとした線はないですからね。 

事務所の都合とか、売り出し戦略だとか……。 
そういうものに流された結果だったと思います。 

当時は、そのことに不満を感じませんでした。 
というよりも、不満を感じる余裕はなかったという方が正しいのかな。 

私の居場所は、もうそこにしかなかったですから……。 

誰も迎えてくれない、人ひとり分のスペースでしかないものだったけど。 
それでもそこが、私の唯一の居場所でした。


3:2013/06/09(日) 17:00:44.16 :sFJRaXSc0

例の劇場では、定期的にライブバトルという名前のイベントが行われます。 

ソロならソロで、ユニットならユニットで、エントリーすると対戦相手が決まって。 
そこでお互いに一曲を披露して、勝ち負けを決めるというイベントですけど……。 

……ふふっ、今さら説明するまでもないですよね。 

とにかく、そのある日に、私の対戦相手に選ばれたのが、プロデューサーだったんです。 

……あ、プロデューサーじゃない。 
プロデューサーが担当していたアイドルの人、です。 

そのときの私は、思い上がりとかはなしに、今日は勝てるだろうと思いました。 
この世界に入ったのは昨日今日のことじゃないし、それなりに自信はあったんです。 
見るからに入りたての新人さんに、負けたくないという気持ちもありました。 

でも……お察しですか? 

……はい、私は負けました。新人さん相手に。 
負けたってことは、やっぱり思い上がりだったのかも。 

たくさんライブバトルをすれば、たまには、そういうこともあるから……。 
だから私にとって、負けたことそのもののショックは、そんなに大きくなかったです。 

……本当ですよ? 
ああ、今日は負けか、って……そのくらい……。 

……。 

…………いえ、嘘です。そんなに軽くはなかった……かな。 

けれど、それよりもショックだったのが、そのすぐ後のことでした。


4:2013/06/09(日) 17:05:18.04 :sFJRaXSc0

 ………………………… ◇ ………………………… 


「プロデューサー! 私、勝ったよ!」 

「おう、おめでとう! 頑張ったな!」 

ライブバトルが終わって、一息ついていた私の耳に、そんな会話が聞こえてきたの。 

いかにも新人さんらしい、元気のあり余った声だと、そのときの私は思いました。 
……今思うと、負けてちょっと悔しかったんじゃないかなって。 

私の目の前で、相手だった女の子は、プロデューサーに飛びつきました。 
プロデューサーの方も、笑いながらその子を受け止めてあげていて……。 

二人して飛び跳ねてました。 

何やってるんだろうって、思いました。 
ライブバトルで一度勝ったくらいのことで、鬼の首を取ったように……。 

喜んでいられるのは最初だけなのに、と呆れました。 

けれど、そう思うよりもっと、羨ましさもありました。 
あんなふうに一緒に喜んでくれる人は、私にはいなかった。 

勝っても褒めてくれないし、負けても慰めてくれない。 
……いや、むしろ、それだけなら、まだ……。 

私の知ってる大人は、勝って当然、負けたら役立たず。 
人を褒める言葉には、いつだって何か裏がある。そういう人たち。 

……あの子のプロデューサーだって、ああ見えて、どうせそうなのよ。 
……そうに決まってる。 

帰り支度をする私は、一人でした。


5:2013/06/09(日) 17:10:32.29 :sFJRaXSc0

劇場を出る前に、私は掲示板に立ち寄って、これからのライブ予定を確認しました。 

何のためか……って? 

それは、私にはプロデューサーがいなかったから。 

……いたかもしれないけど、いないのと同じことだった。 

スケジュールは週の初めに配られたけど、それだけ。 
誰も私のことなんて気にしてない。他のことは、自分でやります。 
だから、今後の予定に変更はないか、見られるときに見ておきたかったんです。 

出演者の欄を、上からずーっと指でなぞっていくと、ほどなくして二つめの私の名前。 
対戦相手は、今日と同じ。 

……次は、勝ちたいな。 

勝つために、何をしたらいいか。 
あの子の弱点はどこだろう。 

掲示板に載った相手の名前をじっと見つめて、彼女のパフォーマンスを思い出した私。 

「おっ、さっきの人発見!」 

すると、後ろから、聞き覚えのある声がしました。 

何かなとは思ったけど、自分に向けてのものだとは思わなかったから、私は振り向かなかった。


6:2013/06/09(日) 17:15:24.38 :sFJRaXSc0

「こら。さっきの人、じゃないだろ。覚えてないのか」 

「うえ……。だって私、自分のステージで手一杯だったんだもん」 

「まあ、今は仕方ないか……で、あの子は……えーと…………なんて子だっけ」 

「なんだいなんだいプロデューサー、私と一緒じゃん!」 

「一緒にするな。俺は今から思い出す…………――ああ、そうだ。泰葉。岡崎泰葉って子だ」 

自分の名前が聞こえてきて、私は振り向きました。 
つい、反射的に。 

でもそのときには、彼らはもう、劇場を出て行くところでした。 

楽しそうにお喋りしながら、お互いに笑顔で、よく晴れた外へ。 
……眩しい光の中に、入っていくように。 

それにしてもあの人たちは……まったく、大きな話し声。 

掲示板に向き直りながら、私は不思議な気持ちになりました。 

長いこと呼ばれることのなかった自分の名前。 
しかも……下の名前です。 

それが、直接じゃなくても、赤の他人のプロデューサーに呼ばれるなんて。 
きっと普段から、人を名前で呼んでいる人なんだろうな。 


 ………………………… ◇ …………………………


7:2013/06/09(日) 17:20:23.81 :sFJRaXSc0

それから少しして、私は劇場を出ました。 

その日は天気がよくて、自動ドアを抜けた瞬間、お日様がすごく眩しかったのを覚えています。 

それに、暑かった。 
熱中症に注意してくださいって、天気予報が呼びかけるくらいだったと思います。 

早く事務所に帰ろうと足を向けたところで、だけど、私はすぐに立ち止まりました。 
だって、そこで、変な人を見つけたの。 

私の目の前で。 
スーツ姿の男の人が、地べたに両手をくっつけて、地面の声を聞いていたんです。 

ぺちゃんこの蛙みたいな格好でした。 
……そうそう、そんな感じです。……お上手ですね。 

……もしその人が自動販売機の前にいるんじゃなかったら、私は110番したかもしれません。 

今日は暑いから、飲み物を買おうとしたのかな。 
そして、小銭を自動販売機の下に落としちゃったのかな。……って。 

事情はなんとなく、予想できましたけど、近寄りたいとは思いませんでした。 
逆から帰ろうかとも、ちらっと考えました。 

この上なく怪しかったんだもの。 

考えてみたら、言葉を交わしたのはこのときが初めてだから……。 
あまりスマートな出会いとは、言えないですね。 

ちなみに、後になってこの感想をプロデューサーに話したとき。 
口止め料だって言って、ヘアピンを買ってくれました。 


…………あっ。 

……まあ、ばれなければ……大丈夫ですよね?


8:2013/06/09(日) 17:25:23.85 :sFJRaXSc0

 ………………………… ◇ ………………………… 


「どうかしましたか?」 

私は男の人に、上から声をかけました。 
その人は、くるりと頭を回して私の顔を見ましたが、起き上がろうとはしませんでした。 

「五百円玉を落としちゃってね」 

私に声だけを返して、男の人はまた、自動販売機の下を覗きこみました。 
それから、独り言のように、言葉が続きました。 

「いいことの後には悪いことが来るんだなあ」 

「……はあ」 

いいことって、何だろう。 
ライブバトルで私に勝ったこと? 

「人間万事塞翁が馬とは、よく言ったものだよ」 

……よくわからないけど、そこまで大袈裟な話じゃないと思うの。 

人に見られても、慌てた様子はまったくなくて。 
這いつくばって探しものを続ける度胸に、私は呆れてしまいました。 

体面とか、プライドとか、そういうものはあなたにはないの? 

それから、私が呆れたわけは、もうひとつ。 

「……その五百円玉って、これですか?」 

男の人の足元の、光る金色を指さして、私は聞きました。


9:2013/06/09(日) 17:30:20.70 :sFJRaXSc0

「助かったよ。ありがとう、見つけてくれて!」 

「どういたしまして」 

男の人に、冗談に感じるくらい、上機嫌な声で、私はお礼を言われました。 

まるで、私が何か特別なことをしたかのように。 
特別なことは何もしてないのに。 

たった五百円をこうも大事にするなんて、貧乏なところなのかな。 
そのときの私が、そう思ったことは内緒です。 

「君は……さっき、俺たちと勝負をした子だよね。岡崎泰葉さん」 

「はい、そうです」 

さっきの会話を聞いていたから、覚えられていたことには驚かなかった。 

……驚かなかったけど、目を伏せて、言葉少なに答えた私。 
負けを思い出すのは、悔しい。 

この人の笑顔にも、何か含みがあるんじゃないかって、そんな気がしました。 

「見つけてくれたお礼だ、君にも奢るよ。お茶かジュースか、どれがいい」 

けれど、私の内心なんて、会ったばかりのこの人には知るよしもないことです。 

自分と担当アイドルの分なのか……。 
既にペットボトルを2本、片手で取り出した男の人は、私にそう言いました。


10:2013/06/09(日) 17:35:47.10 :sFJRaXSc0

「えっ……その、結構です」 

「まあそう言わずに。ライブの後で喉渇いてるだろう?」 

咄嗟に断った私でしたが、男の人は気にしたふうもなく勧めてきます。 

……せっかくなので、お茶を買ってもらいました。 

……この日は暑かったから。 
それに、事務所の人には期待できない親切が……。 
プロデューサーがアイドルにしてくれるような気遣いが、嬉しかったから。 

「……君は慣れてるみたいだね」 

お礼を言って、お茶のペットボトルを受け取ると同時、男の人に言われました。 

慣れている。 
芸能界に……という、意味かな。 

この人もプロデューサーなら、アイドルの年季は、見ただけでわかるのかも。 
そのときの私は、そう解釈しました。 

「そう見えますか?」 

「うん。……って、しまった。そろそろ戻らないと、待たせすぎで怒られるな」 

我に返ったように、男の人はお釣り口を確かめて、私に背を向けました。 
誰を待たせているのかなんて、聞かなくてもわかります。 

さっきの、この人が担当しているアイドルの子だろう。 

「それじゃあまた、次のライブバトルで」 

帰り際に、私のまだ知らない、私をまだ知らないプロデューサーは。 
次は負けない、と意識していた私の心を見透かすような言葉を置いていきました。


11:2013/06/09(日) 17:40:20.89 :sFJRaXSc0

事務所に帰ると、空気が少し、ざわついていました。 

大人たちが一つの机に群がって、何か話しています。 

荷物を肩から降ろしながら、私はちょっとだけ、考えました。 

仕事中に邪魔をするなって怒られるから、普段は話しかけないけど。 
今日はいつも通りじゃないみたいだから、私は声を出してみました。 

「何かあったんですか?」 

「……」 

……何人かが振り向いて、何人かは私を無視して元の通りに向き直りました。 
一人だけが答えてくれました。 

「お前には関係ないことだ」 

「……そうですか」 

それならそれでいい。 
どうしても知りたいわけじゃないもの。 

どうせまた、誰がやめるのやめないのって、騒ぎになっているだけだろう。 
アイドルの仕事がつまらないとか、そんな理由で。 

私は大人たちから離れて、そのへんに置いてあった雑誌を手に取りました。 

雑誌を開いて。 
余所のプロデューサーに奢ってもらったお茶を飲もうとして。 

ペットボトルのキャップを回そうとした私の手は、ふと止まりました。 

小さな特集に。 
さっき見たプロダクション名と、アイドルの子が、載っていました。 


 ………………………… ◇ …………………………


12:2013/06/09(日) 17:45:22.31 :sFJRaXSc0

……初めて会ったときの話は、これで終わりです。 

次にプロデューサーと会ったのは……次のライブバトルのときです。 

それまでの間に受けたお仕事では、会いませんでした。 
プロデューサーだけじゃなくて、今の事務所のみんなにも、誰にも。 

……こういうことを言うのは、よくないのかもしれないけど。 
受けるお仕事の質が、今の事務所と昔の事務所で違ったんじゃないかな。 

プロデューサーなら絶対にやらせないだろうなって思うようなお仕事も。 
昔の私は、してました。 

……え? 

……ああ、それは、ないです。 
似たようなことは、しましたけど。……そこまでは。 

事務所は、私が売れなくなったら、そういうこともさせようと考えてたみたいです。 
だから、あのときは……思ってた以上に、際どい時期だったのかもしれない。 

やらずに済んだのは、プロデューサーのおかげです。 

きっかけになったのは、たぶん、次のライブバトルの後の会話でした。


13:2013/06/09(日) 17:50:27.91 :sFJRaXSc0

 ………………………… ◇ ………………………… 


初めて相手をした日から、数週間後。 

私の目の前には、いつかどこかで見たような光景がありました。 

「……」 

「プロデューサーっ! うわーい☆ ひゃっほー♪」 

「わかったわかった、嬉しいのはわかっ――あぶなっ、ちょっ、落ちつけ!」 

喜び勇んで自分のプロデューサーに飛びかかっていく相手の女の子と。 
笑ってそれを受け止めて、倒れそうになっている、プロデューサー。 

また、この前と同じことをやってる。 
だけど……微笑ましい、なんて思う余裕はなかった。 

胸の内で、密かにリベンジを狙って挑んだライブバトルに……。 
私は、負けました。 

勝つための努力は欠かさないできたつもりだった。でも、勝てませんでした。 

この日、相手のパフォーマンスの方が優れていたことは、認めざるを得ません。 
最初に相まみえたときよりも、レベルが格段に上がっていました。 

私だってこの日のために、レッスンルームを借りて、一人練習を重ねたのに……。 

私の努力が不十分だったのか、相手の努力が上だったのか……。 
どっちにしても、勝てなかったのは同じこと。 

……悔しい。 

知らないうちに、私は衣装の裾を強く握っていました。


14:2013/06/09(日) 17:55:20.11 :sFJRaXSc0

「プロデューサー、私この前、お洒落なカフェ見つけたんだ! 帰りに寄ってこ?」 

「いいけど、そういうお誘いは衣装を脱いでからしろ」 

「えっ……脱げ? そんなっ……ダメだよ、まだ私、こ、心の準備が……」 

「馬鹿なこと言ってないで、はい、気をつけ、汗拭いてやるから。終わったら早く着替えておいで」 

「はーい♪」 

目を逸らしたいのに、どうしても心がそっちを向いてしまう。 

仲の良さを隠そうともしてない、そんな会話が聞こえます。 

……ううん、隠す必要なんてない。 
本当はこれが、プロデューサーとアイドルの、理想的な関係。 

裏方で作業をしていたスタッフの皆さんも、和やかに二人を包んでいました。 

そこに交われないのは、私だけ。 
異物、邪魔者、蚊帳の外、……表す言葉は、何でもいいけど。 

仲睦まじい二人の姿に、胸がきゅうと締めつけられるような気がして。 
追い出されるように、私はステージ裏を抜けました。 

「はあ……」 

ステージ裏と廊下を仕切る、固い金属の扉に背を当てます。 
うつむいて、衣装の裾を掴みっぱなしでいた手を、ふと離しました。 

分厚い扉越しでも聞こえる声に、じくじくと疼く胸を……その手で押さえました。 

「……いいなあ」 

本当は気づいていました。 
……あの人たちを初めて見たときから。誤魔化しては、いましたけど。 

私は嫉妬していた。私は寂しかった。 
比べてしまって……すごくすごく、寂しい。 
すぐそこにあるように見えたものは、私からずっと遠い場所にしかないものなんだ。


15:2013/06/09(日) 18:00:19.85 :sFJRaXSc0

劇場を出る前に、いつものように掲示板の前に立っていると。 
控え室に繋がる通路から、相手の女の子が出てきました。 

大きな鞄を肩にかけていて……側にプロデューサーはいませんでした。 

今日は、先に気づいたのは私。そんなことを思いました。 
でも、先に声をかけてきてくれたのは向こうでした。 

「あっ、岡崎泰葉さん」 

「こんにちは」 

その子は、私の名前を覚えてくれたようでした。 
私は初日から覚えていましたけど……それは何故かといえば、私が負けず嫌いだから。 

私に勝った新人さんの名前を、忘れられるはずがないもの。 

「……岡崎さんは、セルフプロデュースなんですか?」 

挨拶を交わした後、ずいぶんと馴れ馴れしい口調で、そんなことを聞かれました。 

「厳密には違うけど……ほとんどは。……それがどうかしたんですか?」 

「いいえ。でも、そうですか。すごいなあ」 

何の意味もなさそうな、ただそれだけの感嘆。 
私は面食らいました。 

すごいなあ、って。……それって。 

「私はプロデューサーに頼りっきりだから……すごいなあと思って」 

取りようによっては、当てつけにも聞こえる台詞だったけど、そうは思わなかったな。 
そういう子じゃなさそうな、印象でした。 

「……頼れるプロデューサーがいるのは……幸せよ」 

つい、口から出た呟きが、相手の子に届いたのかどうかは……わかりません。


16:2013/06/09(日) 18:05:59.21 :sFJRaXSc0

「おーい、お待たせー。……って、あれ?」 

横合いから聞こえた声に、私とその子は一緒に振り向きました。 

視線の先には、中途半端に手を挙げた男の人が一人。 
その人は、私のことを見ていました。……私のことを、覚えてるだろうか。 

「君は……」 

「えへへっ、お知り合いだよっ☆」 

私の横に並んで、場を制して、相手の子は言いました。 
思わず横を見る私に、彼女は惚れ惚れするようなウインクを決めました。 

……なんて馴れ馴れしい。 

事務所にはこんな人はいなかったから、驚いたけど、嫌な気分じゃなかったです。 

「そうか……そうか……」 

「ん? プロデューサー? どうしたの?」 

「お前にもついに、友達ができたのか……っ! 父さんは嬉しいぞ!」 

「……いや私、友達くらいいるよ」 

「真面目に返すな! そこは乗るところだろ!? 滑っちゃったじゃないか」 

冷めた言葉、慌てた言葉、でもどっちも、冗談だとわかる。 

……なんだろう。この、愉快な気持ち。 

「ふふっ」 

私は笑い声を漏らしてしまいました。 
人のやりとりを見て笑うなんて、いつ以来のことだったかな……。


18:2013/06/09(日) 18:10:30.95 :sFJRaXSc0

「……そうか、君はやっぱりセルフプロデュースの子だったのか」 

少し世間話をした後。 
相手の子のプロデューサーに、私はそう言われました。 

ええ、ほとんどは。だけど、それがどうかしたんですか? と。 
さっきと、同じような言葉を返すと、プロデューサーは笑いました。 

「前に会ったとき、この子は一人で行動することに慣れているなと思ったんだ」 

慣れてるみたいだね、とは、そういう意味だった。 

慣れている。……慣れ。 

……そう、その通りよ。私は一人でも平気……なんだから。 
寂しいのは、我慢しないと。 
我慢しないと……もっと寂しくなる。 

「この前と今日は勝てなかったけど……次は、あなたたちに勝ちます」 

二人を交互に見据えて、私は宣言しました。 
心からそう思っているかのように、きっぱりと言えたと思う。 

他意なんて、ない。 

すると、男の人の顔色が、少し変わった。 
気分を害したわけじゃ、ないようだけど……。 

「……ちょっと、俺の目を見てくれる?」 

いきなり、今までとは種類の違う、真面目な声を出されて、私は戸惑いました。 
戸惑ったままで、顔が勝手に動いて、その言葉に従ってしまう私。 

相手の子が助け船を出してくれました。 

「なぁに、プロデューサー。また女の子口説こうとしてるの?」 

「またってほどしょっちゅうは口説いてない!」 

……えっ。 
それじゃあ、今から私を口説こうとしてることは、否定しないの?


20:2013/06/09(日) 18:15:14.88 :sFJRaXSc0

余裕があるのかないのか、わからないことを思った私の目を。 
相手の子のプロデューサーは覗きました。 

じいっと。 

心の奥底まで見透かすように。 

覗いて、それで、何がわかったのか。 
居心地の悪さに身じろぎしたら、ふうん、と納得して身を引いてくれました。 

「……あの、何ですか?」 

わけもわからず凝視されるのは、気持ちのいいことじゃない。 
いくらか語気を強めた私。 

「いや……うん」 

歯切れ悪く、唸られました。 
言うか言わないか、迷っているような……そんな印象。 

相手の子も、私を見て、そして自分のプロデューサーを見ました。 

「何なの? プロデューサー、はっきりしてよね」 

二人の女の子に、一人の男性が詰め寄られている図。 
端から見たら、どんなシーンに見えたかな。 

その、二人分の視線を受け止めて……プロデューサーは私に向かって訊ねました。 

唐突に。 

「君は……アイドルやってて、楽しい?」


21:2013/06/09(日) 18:20:04.33 :sFJRaXSc0

問われた台詞に、声が詰まりました。 
咄嗟に、何も返せなかった。 

楽しい? どうして、そんなことを聞くの? 
そんなの……そんなのは…………。……あれ。 

簡単に出せると思った答えは、出ませんでした。 

私は……アイドルのお仕事を、楽しめている……のかな。 

アイドルだけじゃない。芸能界のお仕事、全て。 

……初めの頃は……私がずっと小さい頃は、頑張ることで、みんなが喜んでくれた。 
私は嬉しかった。求められている気がして、誇らしかった。お仕事は楽しかった。 

……それが虚像にすぎないと気づいたのは、いつのことだっただろう。 

いつからか、誰も私を見てくれなくなって。 
陳列棚の隅っこに追いやられた売れ残りみたいに、その存在を忘れられて。 

今は……。 

「……」 

返事もできずに、うつむくだけが、私の精一杯でした。 

「あー……本来、こういうのは御法度なんだけど……」 

言いづらそうに切り出した声で、私は目を上げました。 
次は何を言われるか。身構えたところで。 

「君、うちの事務所に来ないか?」 

「「ええっ!?」」 

二人分の驚いた声が、大して広くないスペースに響きました。


22:2013/06/09(日) 18:25:06.81 :sFJRaXSc0

「……」 

「プロデューサー、やっぱり口説いてる!」 

私が固まったのを見てとって。 
相手の子は、茶化したふうを装って、口を挟んでくれました。 

でも、男の人は何も続けない。 

ただ、私が答えるのを……待ってる。 

「……考えさせてください」 

私の口から出た言葉は、それでした。 
急に言われても、答えられない。 

こんな、何の脈絡もない切り出し方で。 

遠い場所のことだと思ってたのに、それが目の前に現れたら……誰だって混乱します。 

この人たちも、この人たちの事務所のことも、私は何も知らなかったし。 
今の事務所よりもいいところだなんて保証はないし、それに。 

……それに、私の中の何か……固くしこった部分が。 
その提案に飛びつきそうになる心を引き留めていました。 

「……そうかー」 

振られることに慣れているのか、どうなのか……。 
腕を組む彼は、あまり残念じゃなさそうでした。


23:2013/06/09(日) 18:30:11.75 :sFJRaXSc0

「それじゃあ名刺だけ、渡してもいいかな。受け取ってもらえる?」 

言いながら、ケースから、一枚の紙を取り出した男の人。 
差し出された小さな紙を、このとき、受け取っていなかったら。 

「もしもその気になったら、連絡してくれ」 

……私はどうなっていただろうか。 

「ならなかったら、事務所の人に話しても、捨てても構わないから」 

相手の子が窺うように私を見てるのはわかりました。 
けれど私は、ひたすら名刺に目を落としていました。 

事務所の名前の下に添えられた、プロデューサーの文字。 

もし、私が望んだら。 
……この人は私のこと、ちゃんと見てくれる、のかな。 

「何かあったときは、遠慮しなくていいからね。ごめんな、変なこと言って」 

ケースをしまいながら、私にそんな言葉を投げかける、私の目の前の、男の人。 
……名刺をつまむ指に、力が入りました。 

……今になって、思うなら。 
プロデューサーはこのときにはもう、全部、見抜いてた。 


彼らとは、その日はそれで、別れました。


25:2013/06/09(日) 19:00:20.81 :sFJRaXSc0

事務所に帰ると、大人たちが会議室にこもって何事か話していました。 

薄いスチール戸の向こうから、話し声が聞こえます。 

葉の伸びた観葉植物、煤けたソファ、書類の積まれた事務机……殺風景な部屋。 
他に気を引くものもなくて、私は大人たちの話し合いを聞き流しました。 

『こっちは……まあ、予想通りの出来だな』 

『ああ、まだ当分は心配いらない』 

『……こっちは?』 

『駄目だな。昔ほどには見込めなくなった。使えるうちに使っておこう』 

『こいつはまだ“綺麗”だからな。その価値はある』 

ぞくりと、背中に悪寒が走った。 

誰も私の名前を出してはいない。だけど嫌な予感は膨らむ。 

私がここで聞いてることを、戸の向こうの大人たちは知ってるのかもしれない。 
そんな気がして……背筋が寒くなりました。 

根が生えたように、その場で私が棒立ちになっていると。 
やがて話し声が止み、戸が開きました。 

その場を離れるかどうか、猶予する暇もなかった。 

「お? 帰ってたのか」 

会議室から出てきた大人の一人に、声をかけられました。


26:2013/06/09(日) 19:05:19.60 :sFJRaXSc0

そのとき私は、名刺を貰ったことを正直に話すつもりでいました。 

もちろん、向こうの提案は魅力的だった。 
憧れていた関係に、私も入れてくれるという話だったんだから。 

でも、今の事務所だって。 
不満はあっても、私を育ててくれた事務所であることに、変わりはない。 

だから……そう、揺らぐ心を抑えていたのに。 

「今日はどうだった」 

「負けました」 

「そうか」 

いっそさっぱりとした表情で、その人は私に言ったの。 

「お前も、そろそろだな」 

「……」 

……ああ、やっぱり。勘違いじゃ、なかった。 
私もいつか、と漠然と予想して、恐れていたことが、今、来た。 

「あの……」 

「何だ?」 

呼び止めようとすると、その人は、妙に迫力のある口調で言いました。 
顔は笑っていたのに、その目は、凍ってた。 

「まさか嫌だなんて言わないよな?」


27:2013/06/09(日) 19:10:17.37 :sFJRaXSc0

言外に、私の居場所はここにしかないという事実を、突きつけられました。 

その途端に。 
指が震えて、喉が詰まって、変な物でも入ったみたいに、鼻の奥がつーんとした。 

言われた通りにやりさえすれば、褒めてもらえた。 
そうしないと、居場所を奪われた。 
言われた通りにやりさえすれば、認めてもらえた。 
だから、そうしてきた。 

なのに、どうして誰も。 
家族も、同級生も、事務所の大人も、お仕事先の人も、誰もかもみんな。 

どうして、私のことを見てくれないの? 

嫌だ。 

そんなことをしてまで、生き残りたい世界じゃない。 

嫌だ、違う。そうじゃない。 
私が欲しかったものは、何? 

やらされたことじゃなくて、私がやりたかったこと。 


――アイドルやってて、楽しい? 


「楽しくない……」 

呟いたときにはもう、私の前には、周りには……誰もいませんでした。 

諦めと抗いの間で揺れる、私の心に、名刺と一緒に貰った言葉が浮かんで。 

……流されるままでいるのは、もう嫌だ。 
溢れそうになる何かを堪えながら、私は事務所を飛び出しました。 


 ………………………… ◇ …………………………


28:2013/06/09(日) 19:15:34.82 :sFJRaXSc0

……その日のうちに、私は電話をかけました。プロデューサーに。 

何を話したかは、あまりよく……覚えていないんです。 
全部覚えてるって言ったのに、ここだけは、記憶が曖昧で。 
……ごめんなさい。 

必死……というのとは、少し、違うと思いますけど……。 

いっぱいいっぱいだった、が的を射てるかな。 

ごめんなさい、お願いします、助けてください、って……。 
そんなことを、言ったんじゃないかと思います。 

……思い出すと、顔が熱いですね。 

……きっと向こうは、私の言葉が支離滅裂で、混乱したと思います。 
その頃の私は、人の頼り方を知らなくて……。 

でも、プロデューサーは、私の話を聞いたあと、頷いてくれました。 

いえ、電話越しなので、動作はわからないんですが……。 
目の前にいて、頷いているのを感じられるような……。 

……うまく、言えないけど。 

プロデューサーは、二つ返事で認めてくれました。 
それから、数日のうちに移籍話を持ちかけてくれたんです。 

話がまとまったらすぐに、自ら事務所まで来て。 
私を連れて帰ってくれたプロデューサーの姿は、今でもはっきり覚えてます。 

どうしてそこまでしてくれるんだろうって、当然だけど、私も思いました。 

だって、それまで、直に会ったことは2回しかなかったのに。 

プロデューサーにそのことを聞いたら……。 
キミに一目惚れしたからだ……なんて、わざとらしく言ってました。 

私にアイドルの素質を見ての打算だ、とも、言い訳っぽく言ってました。 

えっと、覚えてる限りそのままの言葉を引用すると、こんな感じです。


29:2013/06/09(日) 19:20:11.04 :sFJRaXSc0

初めてライブバトルをしたときに、泰葉が俺たちを羨ましそうに見てるなって。 
それはすぐに気がついた。 

だけどもちろん、そんな理由で移籍なんて決められない。 
そんな軽いものじゃないのは、よくわかってるだろ? 

泰葉のときだって、新しい子を雇う余裕がなかったら。 
見て見ぬ振りしかできなかったと思う。……残酷なようだけど。 

……話を戻すと。 
一度目は、事務所の都合でプロデューサーがつけられないんだろう。その程度だった。 

二度目に……泰葉がステージを降りたときの様子を見て。 
あまりにも辛そうな顔をするから、これは尋常じゃないなって思ったんだ。 

そのあと掲示板のところで会って、少し話をしたよな。 

それで、この子の事務所は……ごめん、よくないところだろうって検討がついた。 
なら、この子の芽が摘まれる前に……ってな。 

目とステージを見れば、その子がどんな気持ちでアイドルをやっているか、すぐわかる。 

あのときの泰葉はなあ……。 
すごくまっとうな目をしてるのに、つまらなそうだったぞ。 

俺は、みんなに、アイドルをやるからには、アイドルの楽しさを感じてほしいから。 

あともうひとつ、決め手になったのは……。 
ステージの間、一度も笑ってなかった泰葉が、俺たちの会話で笑ったことかな。 

ああこの子、こういう顔もできるんだって、そのときは思ったよ。


30:2013/06/09(日) 19:25:14.53 :sFJRaXSc0

プロダクションが変わったことは、私にとって、単に所属が変わっただけじゃない。 
見るもの全てががらりと変わりました。 

夢じゃないかと、疑うくらいに。 

事務所も、寮も、レッスンルームも、どこにいても活気が感じられました。 

プロデューサーの後に続いて、事務所の中に足を踏み入れた、あのとき。 

私は、感動を口に出さずにはいられなかった。 

真新しいのに黒々としたホワイトボード。 
応接用テーブルの上に広げられた、学校の宿題。 
アイドルみんなのプリクラが貼られた、書類棚。 

所属してる子たちは、みんな気のいい人たちでした。 

……それまで、私は、他の人とあまり関わらずにいたんですけど……。 
ここに来てからは、そんなの、無理でした。 

事務所と寮とで、それぞれ歓迎会を開いてもらって。 
女子寮で相部屋になった子なんて、三度目の歓迎会を開いてくれたの。 

大勢でやるレッスンを経験するのも、初めてでした。 

誰かと一緒に練習することで、こんなに上達を感じられるなんて。 
誰にも頼らないでいた私は、教え合うことの意味を、このとき知りました。 

それから、何より嬉しかったのは。 
私にも……支えてくれる人が、できたことです。


31:2013/06/09(日) 19:30:15.65 :sFJRaXSc0

 ………………………… ◇ ………………………… 


プロダクションを移籍して、久しぶりに挑んだ、ライブバトル。 

因縁の劇場、なんて言ったら、どちらかというといちゃもんね。 
思い出の劇場、と言い換えます。 

例の劇場で、持っていたものを全て出し切って、ステージを終えた私。 
息を落ちつかせるより先に、プロデューサーの姿を探しました。 

つい、探してしまいました。 

私がここに至るきっかけになった、今は同僚のあの子と同じように。 

「プロデューサー」 

ステージ裏で、大きなタオルを持って待っていてくれたプロデューサーのもとへ。 
私は一目散に駆けよりました。 

「勝って、きました……!」 

「ああ、おめでとう! 汗拭くから、ちょっとじっとしてな」 

上気した頬に、武者震いの止まらない肩に、ふんわりとした感触を得る。 
温かい優しさに包まれた中で、私はその言葉を聞きました。 

プロデューサーにもらった、おめでとうの言葉。 

待ち望んでいた言葉が、花火のように私の中で弾ける。 

……その一言が、ずっと欲しかった。 

私を認めて、一緒に喜んでくれる人がいることは、こんなにも嬉しい。 

ああ、駄目。抑えきれない。 
じんわりと熱いものが体の芯からこみ上げてきて、私は顔をしかめました。 

タオルを被せられていたから、プロデューサーには気づかれないで済みました。


32:2013/06/09(日) 19:35:27.90 :sFJRaXSc0

それから……帰るときになって。 
毎度のくせで掲示板に立ち寄る私を、プロデューサーは面白そうに眺めていました。 

声をかけてくれればいいのに。 

私がもう掲示板を見なくてもいいことに気づいて、はっとするまで、ニヤニヤして見てるの。 

意地悪よ。 

「……怪しいですよ」 

そう文句を言えば。 

「目の保養になるから」 

とか何とか、わけのわからないことを言い返してくる。 

私は、変なことはしてない。 

めいっぱい背伸びをして、掲示板の上の方まで目を通すだけです。 
そんな私のどのへんが目の保養になるのか、さっぱりです。 

「事務所に帰りましょう、プロデューサー」 

呆れるのとむくれるの、その真ん中の顔をして。 
私はプロデューサーのスーツの袖を引っ張りました。


33:2013/06/09(日) 19:40:25.05 :sFJRaXSc0

「そうだな。どこか寄ってくか?」 

「え?」 

プロデューサーの意外な発言に、私は戸惑いました。 
事務所に帰るんじゃなかったの。 

「何のためにですか?」 

「何のためにって……泰葉の初勝利記念、とか」 

うちのプロダクションに来てからのな、とつけ加えるプロデューサー。 

「……そういうのは、いいです」 

私が欲しかったものは、もう、プロデューサーがくれました。 
事務所のみんなからも。 

これ以上貰ったら、お返しできなくなってしまうから。 

すると、しみじみと言われました。 

「泰葉は手がかからないなあ」 

「……どういう意味ですか?」 

私は、ちょっと不安になってプロデューサーを見上げました。 

……泰葉は手がかからない子。 

それは、私にとっては、嬉しい言葉じゃなかった。 
私のことをほったらかす理由付けに、よく使われた言葉だもの。


34:2013/06/09(日) 19:45:17.62 :sFJRaXSc0

でも、このときは私が、過敏になっていただけでした。 

「他のやつらは、泰葉と違って、すぐどっか寄り道したがるんだよ」 

泰葉みたいに、まっすぐ帰ろうと言ってくれる子は貴重だ。 
……なんて、私を見て言う、プロデューサー。 

じゃあ帰ろうか、と歩き出そうとするプロデューサーの袖を掴んだまま。 
私は立ち尽くしました。 

「どうした?」 

寄り道したがるという、みんなの気持ちは、わかる気がします。 

私がプロデューサーに気づいてもらったように。 
事務所のみんなにも、きっとそれぞれエピソードがある。 

この人と一緒にいたいなって。 

そう思わせる人なんだ、プロデューサーは。 

「……あの」 

「うん?」 

「私の初勝利記念、何かしてくれるのなら……ひとつだけ……」 

お願いがあります。 

「プロデューサー、その、私に興味を持ってほしいな……」 

「……」 

……たぶん。 
プロデューサーは、私の言葉の意味を、推し量り損ねたと思います。 
私がなぜ、今になってそんなことを言うのか、不思議に感じたんじゃないかな。 

けれど、最後に残った一抹の不安を吹き飛ばすような約束を。 
私をずっと見ていてくれる、という約束を、プロデューサーはしてくれました。 


 ………………………… ◇ …………………………


35:2013/06/09(日) 19:50:27.85 :sFJRaXSc0

長いこと、話してしまいました。 

お話しできること、他に何か、あったかな……。 

……。 

……何か鳴ってる。電話……私ですね。 

あ、プロデューサーからでした。ふふっ。 
出てもいいですか? 

失礼します。 

……はい、泰葉です。 

はい。 

はい。 

……はい、わかりました。準備しますね。 

……。 

……ええ、次のお仕事の連絡でした。 

……ふふっ、その通りです。察しが早いですね。 
頑張って、歌ってきます。 

ああいえ、その、おかまいなく。時間に余裕はありますから。 
ほとんど準備は終わってるので、急ぎじゃないです。 

……そうだ、準備といえば、この前のひな祭りに、こんなことがありました。 
最後にひとつ、お話しします。


36:2013/06/09(日) 19:55:26.12 :sFJRaXSc0

 ………………………… ◇ ………………………… 


子どもの頃から芸能界に生きてきた人は、周りと少し違います。 
お仕事が中心の生活だから、みんなと会う機会が少なくなります。 

私もそう。 

学校とか、季節の行事とか、ほとんどの子が普通に体験してきてること。 
私には、その半分の経験もなかったんです。 
ないものねだりだけど、憧れていました。 

転機が訪れたのは、去年の5月。 

プロダクションが変わってから、人と同じように過ごせる時間が増えてきて……。 

学校にちゃんと行けるようになったし。 
家の代わりに、事務所で季節の行事を楽しめるようになりました。 

海、紅葉、ハロウィン、クリスマス、年末年始、節分、バレンタイン……。 

忙しいお仕事の間を縫って、みんなでちょっとしたパーティをするの。 

それは食事会だったり、レクリエーションだったり。例えば……。 

みんなでひな壇を作ったり。 

私が移籍してから初めての春、ひな祭りの季節に。 

「やすおかさん、お雛様やる?」 

事務所にいる人でひな壇を飾りつけているとき、私はそう聞かれました。


37:2013/06/09(日) 20:00:21.76 :sFJRaXSc0

「お雛様?」 

五人囃子の笛の人を持ったまま、私は振り向きます。 
飾りつけが楽しくて、私の声は弾んでいました。 

「うん。事務所の倉庫にお雛様の衣装があったの、見つけたらしいよ?」 

私に声をかけてきた子は、いつかのライブバトルでぶつかった、あの子です。 

「面白そうだから、誰か着て写真撮らないかって」 

さっきプロデューサーが言ってた、と言いながら。 
その子も五人囃子の一人を慎重に持ち上げました。 

「それは、つまり、私がお雛様の衣装を着る……ってこと?」 

「そうそう。……あれっ、この人ってここで合ってる?」 

「合ってる。……でもそれなら、お雛様は人気がありそうだけど……」 

「それがさー、みんなサイズが合わないんだよねっ」 

人形をひな壇に置いてから、その子は向こうを指しました。 

なるほど、そっちを見ると、綺麗な衣装が机の上に広げてありました。 

私の背と同じくらい……。 
確かにこの事務所には、私に近い背格好の人は、私だけです。 

話したり、手を動かしたりしながら、少しずつ作業をする私たち。 
私は右大臣を、その子は左大臣を持ち上げました。 

「ちびっこ達ときらりんは立候補してたけど、サイズが合わなくて諦めてた」 

「そうなんだ……」 

もしあの子がお雛様になったら、さぞかし存在感があるだろうな……。 

「私の見立てだと、やすおかさんならぴったりだと思うんだよね♪」 

やすおかさん、というのは、この子が私を呼ぶときのあだ名です。 
私のことをそうやって呼ぶのは、この子だけだけど。 

劇場で初めて名前を呼ばれたとき以外、ずっとそう呼ばれてるの。


38:2013/06/09(日) 20:05:34.46 :sFJRaXSc0

私たちが仕上げの雪洞を飾ったときちょうど、プロデューサーが来ました。 
片手に、お徳用ひなあられが詰まった袋を持って。 

「おっみんな、ご苦労さん。綺麗に飾ってあるな」 

「えへへっ♪ 私たちも、やればできるでしょ?」 

「せんせぇ、ほめてほめてー!」 

「クリスマスとはちょっと違う飾りつけですけど、楽しいですねぇ~」 

あっという間に、みんなに囲まれるプロデューサー。 
私は作業用の布手袋をゆっくり外していて、出遅れました。 

「どうだ? 衣装着られそうな人はいたか?」 

袋からひなあられを出しながら、プロデューサーはみんなに聞きます。 

「……」 

すると、みんなは黙って私を見ました。 
それも、一斉に。 

さっきの話、みんな聞いてたのかな。 

何だか恥ずかしくなって、手袋を外しかけた途中で、私は顔を背けました。 

「ん?」 

プロデューサーだけが、わかってないように首をかしげました。


39:2013/06/09(日) 20:10:29.68 :sFJRaXSc0

「おー! いいじゃん、似合ってる!」 

「本物のお雛様みたいでかわいいー!」 

別室でお雛様の衣装に着替えて、お披露目すると。 
みんなはそう言って、褒めてくれました。 

見た目は豪華な十二単だけど、軽く織られていて、動きやすい。 
それに……自分で言うのは変かもしれないけど、すごく可愛い衣装。 

「さすが泰葉、着こなしてるよ」 

プロデューサーも褒めてくれました。 

お世辞を言われるのには慣れてたけど。 
こうして褒められるのにはまだ慣れないから、照れくさかった。 

「それじゃあみんな、一枚撮ろうか」 

そう言ってカメラを取り出したプロデューサーの腕を。 
何人かが、掴んで引っ張ります。 

「プロデューサーも写りましょー」 

「ええ? 俺までそっちに行ったら、誰が撮るんだよ」 

「いいからいいから、はいこれ持って、はいこれ被って!」 

ぽんぽんと笏と冠を渡されて、目を白黒させているプロデューサー。 

……この事務所には、何でもあるみたい。 
クリスマスツリーも、カボチャランプも、鬼のお面も、倉庫にあったし。


40:2013/06/09(日) 20:20:31.17 :sFJRaXSc0

……なんてことを考えていたら。 
カメラを取られたプロデューサーがこっちに押されてきました。 

「お内裏様とお雛様、こっち向いて!」 

「え、ええっ?」 

混乱したまま、一枚。私は変な顔だったと思います。 
こんな顔をした雛人形は、他にないんじゃないかな。 

「はい、ツーショット頂きました!」 

「まったく……お前たちは隙あらば俺を撮ろうとする」 

ぶつぶつ言いながら、プロデューサーはカメラを取り返しました。 
その間、私は固まりっぱなし。 

「仕返しだ、連写してやる。にっこり笑ってろよ」 

冠を被ったまま、プロデューサーはカメラを構えました。 

すると、みんなが私の周りに集まってきました。 
ぎゅっと身を寄せて、ピースする人は手を突きだして、その瞬間を待ちます。 

「それでは……うちのお転婆どもがもう少し大人しくなることを祈ってー」 

「えーっ!」 

「ひどーい!」 

ブーイングが飛びました。 

「冗談だよ冗談」 

すぐにとりなしたプロデューサーが笑って、みんなにも笑顔が戻ります。 

状況についていけてなかった私だけど、だんだん、楽しい思いがこみ上げてきました。 
ああ、いいな、こういうの……って。 

この気持ち、他の人にも伝わるかな。 

「では、うちの可愛い娘たちの大成を祈って……」 

一枚。 

私も含めて……みんなのいい笑顔が写った一枚でした。 


 ………………………… ◇ …………………………


42:2013/06/09(日) 20:51:06.85 :sFJRaXSc0

……じゃあ、そろそろ……。 
はい、次のお仕事に向かいますね。 

今日はありがとうございました。 

……。 

……えっ? 私の今、ですか? 

そうですね……。 

……。 

……あの、私、顔が赤いかもしれないけど……笑わないでくださいね。 


……今の私があるのは、あの日、プロデューサーに声をかけてもらったからです。 

私が今の私でいられるのは……。 
プロデューサーと、それから事務所のみんなのお陰です。 

今なら、普通を夢見ることも……寂しいと思うことも、ない。 

私のことを見てくれる人が、たくさんいるから。 
お仕事も毎日も楽しいなって、そう思えるの。 

とっても楽しいし、今が幸せ。 

だから、いくら言っても足りないくらい、感謝してます。 

これからも、精一杯お仕事をして……。 
少しでも、プロデューサーと、事務所のみんなに、お返しができるように。 

今の私の……岡崎泰葉の、目標です。


44:2013/06/09(日) 20:52:40.35 :sFJRaXSc0

以上です。すいません、これで完結です。 
ご飯食べてました。 

負けず嫌いな泰葉さん可愛いと思って書きました。 
お付き合いいただきありがとうございました。


48:2013/06/09(日) 21:07:08.21 :wBGum0aDO
乙。 
地の文が多いSSって珍しい気がする。 
千秋とか安部さんとか晶葉辺りで見た限りだわ多分

50:2013/06/09(日) 21:48:17.11 :xsbU8f190
おっつおっつ☆ 
岡崎先輩重可愛い

51:2013/06/10(月) 01:35:32.19 :MmUOUJBO0
乙 
岡崎先輩メインのssもっと増えろ(願望)


元スレ
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1370764527