は~い!元スーパーアイドル、水瀬伊織ちゃんで~す♪ 
えっ踏んでください?ワケわかんないこと言ってんじゃないわよ……。ただでさえ今、頭ん中がこんがらがってるんだから……。 

美希を探しに来たハリウッドで私は銃で撃たれた。お腹が、焼けるように熱くなって意識を失った。 

それで目を覚ますと、「ロストアルテミス」とかなんとかいう月の崩壊現象が起きた百数年後の世界だった。 
そこで私は、名前がおんなじなんだけどどこか目つきが悪い真とか、妙にしっかりしたあずさとかと一緒に 
「ネーブラ」とかいうロボットに乗って隕石の破壊活動をやろうってんだから驚きよね。 

おまけに元の世界に戻るには、こっちの世界を救うしか無いみたい。 

……わかったわ。この伊織ちゃんに不可能は無いんだから!やってやろうじゃないの! 
牛丼なんか食べてる場合じゃない!いくわよ!バカリボン! 

……あなたのアイドルになりたい。


7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 22:20:53.82 :WX99038R0

……って 

「そんなわけないでしょうがあぁぁ!」 

思いっきり体を起こすと、周りは真っ白い天井と、真っ白い壁だった。 
目の前には私好みのふわふわ羽毛のシーツ。 
窓の外には、車のクラクションや英語の看板だらけ。 

天国にしては、随分カジュアル過ぎるわね。 

……どうやらここはハリウッドみたい。 
まったく冗談キツいわよ……。 
ま、この水瀬伊織ちゃんがそう簡単に死ぬわけないんだけどね。 

えーっと……私ってどうなったんだっけ。 
確か、銃で撃たれて、美希が逃げて、貴音がずっといて……


21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 22:36:08.44 :WX99038R0

壁にかかってるエンブレムを見るに、水瀬財閥の……どう見ても病院よね。 
右手にみえる、まるでユーモアの無いテーブルの上には、うさちゃんがポツンと乗っていた。 

私しかいないBGMのない静かな部屋を見回す。 
あるのは机、カーテン、テレビ、ニュースペーパー、電気スタンド……くらいね。 
はぁー病院って何でこんなつまらないのかしら。 

もっとキュートなウサギのプリントでも壁に張ればいいのよ。 
こんなんじゃ余計に気分も塞ぎこんじゃうわ。 

さて、近辺調査は終わったから、あとは状況の整理ね。 


……一体全体なにが起こったわけ?


28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 22:49:10.10 :WX99038R0

私は、うさちゃんを両手に抱き抱えて、考えてみる。 

ハリウッドに来て、美希を探しに来てそれで…… 
そうよ!すっかり忘れてたわ! 

あの腹立つ悪徳変態大人に出会って、水瀬財閥のホテルで気を失ったんだった! 
私は、歯をきりきりと食いしばる。今思い返してもム・カ・つ・く・わ~! 

あいつ、ちゃーんと逮捕されたんでしょうね。 
英字のニュースペーパーを力いっぱい握って、顔の前へ持っていく。 

……目を凝らしながら、文字をすべらしていくと小さな小さな記事に 
『日本人がホテルで発砲』という見出しに、アイツの写真が載ってた。 

ざま見なさい。悪いコトするからバチが当たったのよ。 

だけど、ちょっと違和感があった。 
負傷者は一切無し……? 

じゃあ、何で私は病院にいるのよ……。やっぱりこれも夢なのかしら。


31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 22:59:07.71 :WX99038R0

考えても仕方ない。誰かに聞くしかないようね。 

私は備え付けのボタンを何度も押す。 
すると、暫くして日本人の、白衣を着たナースがゆっくりとドアを開けた。 

「良かった!お嬢様、目が覚めたのですね」 
「目が覚めたって……私どのくらい眠ってたの?」 
「大体、50時間ほどです」 

……あれから2日以上も眠ってたわけね。 

「申し訳ございません。このような施設も整っていない病院で。何分急でしたので……」 
「……」 

そういうわりには随分と部屋が広いけどね。 
さすが、水瀬の医療技術は世界一なだけあるわ。 

……そういえば、銃で撃たれたのに痛みがまるで無い。 

「あの、とても申しあけにくいのですが、お嬢様のお怪我は……」


36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 23:09:43.53 :WX99038R0

「軽傷です」 
「へっ?」 

大慌てでシーツをめくって、水色の病院服をおへその辺りまでめくりあげた。 
見ると、わき腹の部分に、ガーゼが小さく張られていた。 

「わき腹をかすって、弾は貫通しました。内臓器官や重要な血管はほとんど傷つけられていません」 
「な……な……」 
「どちらかというと、お嬢様の場合、撃たれたというショックが大きかったようで……」 
「だって、血がいっぱい……」 
「怪我を負った場合、パニックになって本来よりもずっと悲惨なイメージをしてしまうのはよくあることです」 

──お兄さま……やっぱり……私は……間違っていなかった……わ 

その瞬間、私は顔がフットーしたように真っ赤になった。 

は…… 
恥ずかしいぃぃ! 

な、何私死んじゃうみたいなノリ出してたのよ! 
あぁぁああ!絶対後で、亜美と真美にからかわれるわ! 

私は手のひらで顔を覆って、頭を左右に振った。 

「あの……お嬢様……?」


48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 23:22:29.93 :WX99038R0

うぅ……屈辱だわ……。 

「はぁ……」 

思いっきり感情を爆発させたら随分と落ちついたみたい。 
ひとつ、ため息をついてナースに言った。 

「ありがと。もう一つ聞きたいことがあるわ」 
「なんなりと」 

「私のツレ、じゃなくて友人についてはどうなったのかしら」 
「……」 

私、あのあとどうなったのか全くわからないのよね。 
ま、どうせ私をほっといてハリウッドを満喫してるんでしょうけど。 

それを聞いたナースは、口をつぐんだ。目が左右に泳ぐ。 

「友人、とは?」 
「私と一緒にいた元アイドルのみんなよ」 
「はぁ……」 
「ほら、いたでしょ。例えば妙にもったいぶった言い方する銀髪、貴音とか」 

そう言って、口元に手を当てて、目をすっと細めて貴音のマネをする。 
「ここに運ばれた時は、お嬢様のみで、以来お見舞いには御友人は来ておりませんが」 
「えっ……?」


55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 23:34:07.43 :WX99038R0

私、いくら軽傷と言ったって、銃で撃たれたのに、一度も見舞いに来ないわけ?! 
随分と薄情じゃないの!握った拳がぶるぶるとと震えた。 

「怪我は何ともないわけね」 
「はい……」 
「じゃあ、退院するわ」 
「えっ?」 

そう言いきって、ベッドから飛び起きる。 
近くのロッカーを開けると、私の着ていたピンクのワンピースが入ってた。 

「お、お待ちくださいお嬢様」 
でうろたえるナースも気にせず、私は病院の服を脱いで、ワンピースに袖を通す。 

「それじゃ、後はよろしくね」 

手をひらひらと振って、ドアノブに手をかけた。 
あれ?引っ張っても開かない。 

すぐに気付いた。逆側から誰かが回してる。 
手を話すと、扉がゆっくりと開いた。 

そこには……


62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 23:44:09.44 :WX99038R0

如何にもお高そうなオーダーメイドのスーツに、金色の時計、ダイヤモンドのアクセサリ。 

私は、見上げるように顔をあげる。 
そして、すぐに顔を背ける。 

……喧嘩中なんだから、顔も見たくなかったわ。 

「伊織、やっと目が覚めたか」 
「お兄さま……」 

どうせ待ってなんかないくせに。 
時計をしきりに確認するに、随分とお忙しいようね。 

「会社の方は大丈夫なのかしら?」 
「10分だけ時間が空いた」 

お兄さまとは昔から小さな喧嘩が絶えなかったけれど、 
765プロが倒産してからは私への態度が明らかに変わった。 

私のバッグのおねだりメールも返信してこなくなったし、久々に家に帰ってきてもほとんど会話も無かった。 
落ちこぼれと言われたことを思い出して、唇を強く噛んだ。


70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/10(月) 23:58:55.16 :WX99038R0

「用件だけ伝えに来た」 
「……」 

背を向けて、語りかける声をただ聞く。 
……私ってやっぱりまだお子様よね。 

「まず、お前の友人たち」 
「……」 
「水瀬が全員保護している」 
「……えっ」 

……それから極めて説明口調の説明を聞いた。声のトーンは一定を保ったまま。 
961プロデューサーを殴って、皆は美希を追ったこと、そのすぐ後に全員捕まえられた。 

何故すぐに捕まったかは……。 

「これだよ」 
振り向くとお兄様は水瀬財閥製のGPSを片手に持っていた。 
なるほど……要するに逆探知されたわけね。 


75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 00:11:34.71 :tnRYOr2a0

「逃走するから誤解が起きた」 
あそこは監視カメラも無かったし、日本語も通じなかったし、肝心の961プロデューサーは響がボコボコにしちゃったし、揚句、車泥棒か。 
美希を追うためとはやりすぎよ。特に真……。 

「後に、誤認であることと、父が765プロの社長と親友であることがわかった」 
「……」 
「警察には伝わってない」 
全て不問、か。強引に揉み消し……ってわけね。 

「はぁ~~……」 
肺の中の酸素を全て吐きだすくらいの長いため息をひとつ。 

「みんなとはすぐに会えるね」 
「あぁ、お前の意識が戻ったら解放するつもりだった」 
よかった。これでめでたしめでたし、ね。 

お兄様は相変わらず、感情が篭っていないただのガラス玉のような瞳でこっちを見つめている。 
「……」 
「な、なに?」


80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 00:22:22.72 :tnRYOr2a0

「伊織、今年でいくつになる?」 
「もうすぐ18歳よ」 

妹の年齢くらい覚えてなさいよ……。 

「そうか」 
お兄様は目を伏せた。 

「伊織、お前はアイドルを辞めてから何をした?」 
「えっ……」 

私は……。 

お兄様は相変わらず一定のテンポで続ける。 

「家でひたすら歌を歌っているか踊って遊んでいる。途端に泣きだす」 
「……」 
「そして、突然家出する。ボディガードを雇うのもただじゃないんだ」 
「えっ……?」 

ボディガードって……? 
お兄様の言葉を頭の中で反復して、意味を解きほぐす。 

もしかして私が家出してる間、ずっと尾行されてたっていうの? 
泣きそうなくらい辛かったあの一か月は、全部保障されたものだったの……? 

私はまた顔が熱くなるのを感じた。


87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 00:31:08.03 :tnRYOr2a0

お兄様はそんな私に興味が無いかのように続ける。 
「それで、帰って来たかと思ったら友人の手術をしてくれという」 
「……」 
「いくらかかったと思ってる?揚句の果にはアメリカに行くから、パスポート無しで10人分の飛行機をチャーターしてくれという」 
「……」 

悔しさを感じたけれど、私は何も言い返せなかった。 
お兄様は事実をただ述べてるだけ……。 

「そして、極めつけは今回の大事件だ」 
「……」 
「水瀬財閥の損失は莫大だ」 
「……」 
「伊織、お前は親のコネの金を湯水のように使うだけ。お前自身は天下の水瀬にどんなメリットをもたらしてくれたんだ?」 
「……!」 

「お前は、やはり落ちこぼれ。水瀬家の失敗作だよ。伊織」 
「……うっ!」 

悔しい……!悔しい……! 
私は心がズタズタに引き裂かれる思いがした。 
銃で撃たれた時よりも、今のほうがずっとずっと痛かった。


100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 00:42:23.15 :tnRYOr2a0

私は、ずっと、赤ちゃんの頃から父と兄の背中を見て育ってきた。 
一身に人望と名誉を集める父と兄は、輝いていた。 

学校の先生や友達も、私を「水瀬財閥の娘」という目でしか見ない。 
……私は、それが堪らなくイヤだった。 

それで、私はアイドルになった。 
父と兄に負けない何かが欲しかった。 

そこで出会った皆は、時々腹も立つけれど、私に対して「伊織」として接してくれた。 
プロデューサーも、最初はなんて頼りない下僕が来たのかと思ってオレンジジュース何度も買ってこさせた。 

けれど、いつのまにか私の中でどんどんおっきな存在になっていって……。 
純粋にアイドルをやれた時は楽しかった、居場所があった。 

でも今の私は、もうアイドルじゃない。 


お兄様の声が部屋に響いた。 
「伊織、お前はもう水瀬じゃない」 
「えっ」 

信じられなかった。 
まさか、まさかこんな形で、私と水瀬の関係が終わるだなんて。


119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 00:53:12.62 :tnRYOr2a0

「ど、どういうこと?お兄様」 
「お前と水瀬財閥は、今後一切関わりを持たない」 

それって……つまり…… 
「勘当ってわけ?」 
「平たくいうとそういうことになるな。遺産もお前に一円も渡らない」 

……お金は別にどうでもよかった、とは言えないわね。 
よく考えたら、私、たしかに私がみんなにしたことって、全部お父様のお金の力だった。 

千早の喉の手術も、飛行機の手配も、GPSの用意も、祝いのパーティも、そして今回の事件の揉み消しも。 
だけど、それでもみんなのためなら構わないなんて勝手に思ってた、かも知れない。 

私は何もしてないのに。 

今言われてることは当然の結果って、強く思った。 
耐えられない胃の痛みが私を襲った。お腹を押さえて、膝をがくりと落とす。 

あれ、嘘でしょ……この程度で私ってダメだったの……? 
雪歩に対して「あんたにしてはよくやった」なんて言ってのけたことを思い出す。 

身の程を知った気がした。


128:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 01:04:11.44 :tnRYOr2a0

入院したのにお父様もお母様も来た気配がない理由がわかった。 

「……うぅ」 
私は低いうめき声をあげた。 

お兄様は、そんな私に対して歩み寄りもせずに、むしろ遠ざかるように革靴の足音を鳴らした。 
「一週間後、また来る」 
「……待って、お兄様」 

絞り出すように、声を出した。 
「わかった。わかったわ……よ」 

今まで……わがまま言って……。 

だけど、まだ終わりじゃない。 
美希にやっと会えて、これから日本に帰って春香をなんとかできたら、 
きっと律子が私たちをプロデュースしてくれる……。 

アイドルを再開できたら、お父様もきっと見直してくれるに違いない。 

ショックだったけれど、今は受け入れる以外の選択肢がなかった。


133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 01:14:11.88 :tnRYOr2a0

情けないけど、早く皆に会いたい……。 
絶対に口では言えないセリフを頭の中で思った。 

あんたちの生意気な顔を見れば、意地でも笑ってみせるわよ。 



次の言葉で私は頭をハンマーで殴られた衝撃が走った。 

「帰りの飛行機は全員分キャンセルした」 
「えっ……?」 
「あんな大犯罪起こした後に、易々と帰国できるわけ無いだろう。自力で帰れ」 

海外旅行が趣味な私は、その言葉を聞いて一気に寒気が走った。 
言ってしまえば、今回のアメリカ入国は密入国。パスポートも無い。 

……私たちはいわば不法滞在者。帰国するだけなら、強制送還がある。 
だけど、だけど 

日本での前科がつく……。 
そしてアメリカへの再入国は永久に不可能……。 

つまり春香と千早以外の、トップアイドルへの道が、無くなる……。 
私のせいで……。 


──私のせい私のせい私のせい


145:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 01:24:08.51 :tnRYOr2a0

……病院のドアを開けると皆が出迎えてくれた。 
どこも真っ白なハズなのに、なんだか景色が灰色にみえた。 

「伊織!」 
貴音が泣きそうな顔で飛び込んでくる。 

「無事だったのですね!よかった、わたくしは……」 
「……」 
あれだけ見たかった顔なのに、ただ苦しかった。 

「伊織ちゃん!」 
雪歩がまっすぐ向かってくる。顔つきがなんだか違っていた。 

「さっきね、牛丼屋見かけたのよ。退院祝いにみんなで行きましょう?」 
律子が、私を刺激させないかのように日常の会話を挟む。だけど、目が潤んでいた。 

──また、みんなでアイドルやれるね。 

誰かがそう言った。 
きっと、みんなは私を責めない。許してくれる。 

私のせいなのに。


152:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 01:31:02.22 :tnRYOr2a0

「あふぅ」 
怠けた声が聞こえた。 

「美、希……」 
「大変なことがあったみたいだね。お凸ちゃん?」 
「……っ!」 
さっきの会話のことかと思って、心臓が跳ねあがった。 
思わず睨みつけてしまう。 

「う~……お凸ちゃんなんだか怖いよ?」 
「……」 

そういえば、私のことを、気に食わないあだ名で呼んでる。 
ずっと無言でいる私に向かって、雪歩が声をかける。 

「あ、あのね。なんだか美希ちゃんの記憶がひっくり返っちゃったみたいで、最近のことは何も覚えてないの」 
「……」 

へぇ、そう。 
私を撃ったくせに。そんなことを思ってしまう自分がイヤだった。 

「随分と都合のいい頭してるじゃない」 
「……!伊織、そんな言い方はないだろ」 

真がまた文句を言ってくるけど、喧嘩する気も起きなかった。


160:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/11(火) 01:46:15.95 :tnRYOr2a0

それから、日本を勘違いしているナンセンスなお店に連れてかれた。 
壁には漢字が一文字の額があって、刀が飾ってあって、メニューに『てんぽら』って書いてあった。 

「……全っ然笑えないわよ。馬鹿じゃないの」 
「お凸ちゃんお腹痛いの?」 
伏し目に声を漏らすと、美希が顔を覗きこんでくる。 

「アメリカの牛丼もおいしいなー!やよい」 
「はいー!これ、お持ち帰りできますかー?」 

響とやよいの明るい会話も、耐えられなかった。 

口をつけずに箸で丼をつついていると、律子が話しかけてくる。 
「伊織、ところで帰国の日時はいつにする?そちらの都合に合わせるけれど」 
「……」 
「伊織……?」 
「少なくともあ、と、一週間……」 

言及されるのが怖くて、無意識に言ってしまった。 
私はあと一週間でケリをつけなくちゃいけない。 
今度こそ私自身の力で……。


1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/12(水) 22:51:22.83 :LJJWs7l20

「アメリカの牛丼もおいしいなー!やよい」 
「はいー!これ、お持ち帰りできますかー?」 

響とやよいの明るい会話も、耐えられなかった。 

口をつけずに箸で丼をつついていると、律子が話しかけてくる。 
「伊織、ところで帰国の日時はいつになるの?」 
「……」 
「伊織……?」 
「少なくともあ、と、一週間……」 

言及されるのが怖くて、無意識に言ってしまった。 
私はあと一週間でケリをつけなくちゃいけない。 
今度こそ私自身の力で……。


5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/12(水) 23:02:15.24 :LJJWs7l20

「そう、わかったわ。詳しい日程がわかったら伝えてね」 
「わかったわよ……」 
律子は視線を牛丼へと戻す。 
何も知らないみんなは美味しそうに食べている。 

……。 
私、一週間で、何が出来るの? 
水瀬財閥の力はもう使えない。 
それできれいさっぱり日本へと全員帰国する。 

どう考えても無理よ。 
おまけに……。 

「伊織、ところでアレどうにかならないの?」 
また私の隣の律子が話しかけてくる。 
親指を向けた先には、数人の水瀬の黒服がこちらを監視していた。 

「あの、殴っちゃってすいませんでした!」 
真がへこへこと一人一人に謝っている。なんともない事なのに、それもなんだか嫌気がした。 
ようやく食べた一口目の牛丼は、味が全くしなかった。


15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/12(水) 23:16:53.28 :LJJWs7l20

背中から雪歩のおどおどとした声がする。 
「伊織ちゃん、あの、やっぱり連絡はまだできないんだよね」 
「……ちょっと待ちなさいよ」 
「う、うん。ごめんね。千早ちゃんに早く伝えてあげなきゃって思って……」 

……解放とはよく言ったものじゃない。 
私含めて水瀬側には、まだ超危険人物として警戒されていた。 

行動は全てお付きのヤツに報告しなくちゃいけないし、外部への連絡は一切禁止。 
携帯電話は全員没収された。 

まぁ、トーゼンといえばトーゼンよね。 
まだあれから2日しかたってない。 
事件の火消しに向こうはてんやわんやな頃だから、監禁されないだけマシか。 

水瀬財閥の娘が撃たれた、なんて大スキャンダルが漏れれば、一体どうなるかわかったものじゃない。 
水瀬財閥の娘が、犯罪に関わっていたなんてのも絶対に知られたくないこと。 

……どいつもこいつも水瀬水瀬水瀬水瀬水瀬。全くサイテーの気分よ。


18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/12(水) 23:33:16.87 :LJJWs7l20

『リッチャンハカワイイデスヨ、リッチャンハカワイイデスヨ』 
「うわー!見て見て!ゼンマイで動くリッチャン人形だ!」 
「ほんとだー!チョ→うけんね!」 
亜美と真美が爆笑しながら床を転げまわっている。 

なにも知らないで笑っている皆と、なにも言えなくてただ黙っている自分にただムカついた。 
イライラがどんどんと溜まっていく。 
牛丼を箸で意味もなく、突き刺していると律子が手を一つパンと叩いた。 

「はい!それじゃ、許可もとったし、みんなそろそろ出ましょう!」 
「一時はどうなることかと思ったけれど、無事に帰れるみたいでよかったねー」 
「んっふっふーいおりんさまさまですのぅ→」 
亜美と真美がつんつんと背中をつついてくる。 

悪気は無いのはわかってても、どうしても握った手に力が篭るのが止まらなかった。 

「伊織ちゃん、無事でよかったね」 
「やよい……」 
「伊織ちゃんのお家ってよくわからないけど、スゴいんだねー」 
「……っ!」 

もう限界だった 
「……うるさい」


26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/12(水) 23:50:19.02 :LJJWs7l20

「えっ……?」 
理解できないといった具合に、やよいがポケっとした顔で覗きこんでくる。 

「……ッ!!!」 
「はわっ……」 
手で思い切りテーブルに載っている食べ物を払いのけた。 
皿が割れる音がして一斉にみんなが振り返る。 

さっきの和やかな雰囲気が一瞬にして、塗り替わった。 

「……ッ!うるさいッ!うるさいうるさい!うるさいわよ!」 
ハイヒールで地団太を踏む。床のピンク色のマヨネーズが飛び散る。 

「みんな、私をバカにする!」 
お兄さまも!お父様も!昔の貴音も! 
美希も、あんたのせいでこうなったのに何も覚えないっていうの? 
客観的に見て、そんなのおかしいわよ。 

「私を誰だと思ってるの?!私は──」 
──水瀬財閥の娘、水瀬伊織よ! 

……っ!言いかけて、また何かがぐっさりと体に突き刺さる痛みが走った。 
半年前の自分の言葉に、今ごろ復讐されるなんて笑えないわ。 

「どうしたんだよ、伊織。さっきから何だかおかしいよ」 
「ふぅー!ふぅー!」 
気付いてしまった。私、あの頃から何も変わってない。


32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 00:01:18.47 :Il5LSSpU0

それから、心配そうに私を見つめてくる皆を素通りして、ドアを左足で蹴るように開けて外へ出る。 
黒服に英語で、用件を伝えて録音、監視という条件付きで車に備え付けてある電話を借りた。 

『はい、こちら水瀬コンポレーションです』 
「水瀬伊織よ。お兄様……社長に変わって」 
『少々お待ちください。別の部署にお繋ぎいたします』 
「……」 
『はい、こちら水瀬……』 
「水瀬伊織。社長に変わって」 
『少々お待ちください』 
「……」 
『はい、こちら……』 
「さっさと変わりなさいよ!」 

それからめんどくさい本人確認をさせられて、ようやく無機質な声が聞こえた。 

『どうした、伊織。こっちは今、緊急事態なんだ』 
「……お兄さま、今回は何分?」 
『……3分だな』 

お兄様と私はいつのまにか話す前に制限時間を確認するのがお約束になってしまった。


39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 00:14:02.05 :Il5LSSpU0

車内で、人差し指でトントンと椅子を叩きながら、話しかける。 
思わず、声に力が篭ってしまう。 

「お兄様、なんとかならないの」 
『用件は的確に伝えろ』 
「飛行機の件よ……」 
『あぁ』 
電子音に増長された興味の無さそうな声が聞こえる。 

「お兄様、嘘なんでしょ」 
『俺が嘘をついたことがあるか?』 
「なんとか……なんとかしてよ」 

お兄様は、紛うこと無き天才だった。昔からお兄様には何もかも勝てなかった。 
それが私のアイドルを目指した理由だった。生まれた時から、私の生き方は決まっていたのかも知れない。 

『伊織、もっとしなやかになれ』 
「はぁ?」 
時々何を言ってるかわからないことがある。今もそう。天才は往々にして理解できないってヤツ、ね。 

「何言ってるのよ、お兄様」 
『伊織、お前は昔からそうだ。甘えれば何でも手に入ると思ってる』 
「……っ!」 

電話を突然切りたい衝動に駆られた。 
お願いだから、これ以上私をバカにするんじゃ、ない、わよ……。


53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 00:29:18.31 :Il5LSSpU0

お兄様は止まらなかった。 

『もっと小さな頃なら、子供の駄々として構ってやったかもしれない』 
「……」 
『だがお前もそろそろ……………あぁ、そうだ。18だ。』 
「……」 
『それが人にモノを頼む態度か?』 
「……わかったわよ」 
『何もできないくせにプライドだけは一人前に高い』 
「もうわかったからいいわよ」 
『アイドルをやってた頃は水瀬財閥のイメージ上昇として、多少なりともメリットがあったがな』 
「わかったってば」 
『今のお前はただの金食い虫だ。お前のような人材はもう水瀬には……』 
「わかったって言ってるでしょ!!」 

大声が車内に響いた。隣の黒服は眉ひとつも動かさない。 
また胃がキリキリと悲鳴をあげた。 

『……どうにかしてほしいならな』 
「えっ」 
『1週間後、俺の前で非礼を詫びてみろ』 
「……!」 

──貴音が私の前で土下座して許しを乞うまで!家には絶対に帰らないわ! 
これも、半年前の言葉だった。認めろっていうの?私は水瀬家の落ちこぼれで、失敗作ですと、お兄様には一生勝てませんと。 

……出来るわけない。


58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 00:45:54.96 :Il5LSSpU0

『そうすれば特別にお前だけは帰国させてやる』 
「えっ」 
『そして二度とアイドルなんか馬鹿なことはさせない。』 
「ま、待ってよ」 
『お前の有害なお仲間とも一生付き合わせない』 
「そんな……」 
『水瀬家の小間使いとして扱う。家の中から出させない』 
『どちらかを選べ。3分だ。切るぞ』 
「ま、待っ……」 

そして、通話が切れた。 
暫く、呆然としていた。 
……お兄様は絶対に嘘をつかない。 

不意に、窓ガラスをコンコンと叩く音が聞こえた。 
曇りガラスに顔をピッタリと張りついて、貴音がこちらを覗いていた。 

「何かイヤなことでもあったのですか?」 
「……」 

また気付いた。半年前、私は貴音と千早を助けたんじゃない。 
私は貴音に助けられた。家に戻るきっかけが欲しくて、貴音に、甘えた……んだ……わ。 

「う……うあぁぁ……!」 
「ど、どうかしたのですか?伊織」


67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 01:13:11.29 :Il5LSSpU0

それから私は何も決められないまま、ただ時間だけが過ぎた。 
観光も許されてない、水瀬の用意した簡素なホテルに10人が押しこまれた。 

……もうイヤよ。何もかも捨てて逃げ出したい気分に駆られた。 
耐えられないお腹の痛みと、グチャグチャになった頭を抱えて、椅子に座る。 

私は、どっちを選べばいいの? 

春香と千早以外のアイドルの夢を捨てて、犯罪者として暮らすか。 

兄に土下座して、また水瀬の特権を使って、私だけ日本で水瀬家の使いッパシリとして暮らすか。 

「う……うぅ……」 

どれだけ悩んでも、あと数日で、お兄様はやってくる。 
みんなには口が裂けても言えない。相談なんか出来るわけがない。 

「うさちゃん……どうすればいいの……教えててよ……」 
取れた耳の部分を撫でて、うさちゃんに話しかけるけど、答えは返ってこなかった。背中からまた誰かの声がする。 

「伊織、何そんなにイライラしてるんだよ」 
「何でも無いって言ってるでしょ!ただのメンスよ!いいからほっといて!」 
「はぁ、やれやれ。伊織のわがままにも困っちゃうよ……」 

ため息が漏れた後に、ドアが静かに閉って、また私はうさちゃんと二人っきりになった。


79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 01:30:15.09 :Il5LSSpU0

何もできないまま、また時間が過ぎて。 

私以外の状況が動いた。 
私一人の、篭っていた部屋の外からどよめく声が漏れた。 

「ど、どうしたの?!美希ちゃんッ?!」 
「んー。優しそうな黒服さんにお願いしたらお買いもの許してくれたの」 
雪歩の驚く声と美希の相変わらずのゆるい声。 

乱れた髪と格好のまま、よろめきながら部屋のドアを開けると…… 

……何だっていうのよ。 

「イメチェンって感じ?すぐに戻すけど。ねぇ、似合うかな?」 
美希の肩まであった、遠目からでも目立つ金髪がバッサリと落ちて、茶髪になっていた。 

「美希ね、みんなに言わなきゃいけないことがあるの」


90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 01:45:01.32 :Il5LSSpU0

律子が、美希の肩に手を軽く乗せた。目を閉じて微笑む。 
「えぇ、そうね。そろそろ良い頃ね。みんな、受け止められるでしょうから」 
「律子」 
「律子、さんでしょう。美希」 

「えっとね、美希はこっちに来てからの事は全然覚えてないんだけど」 
茶髪が開けた窓の風で揺れる。 
ヘアカラーのつんとした匂いが鼻をついた。 
「なんだか大変なことがあったみたいで、みんなごめんなさいなの!」 
美希が頭を深く下げる。 
「いいんだよ、美希」 
「そうよ~美希ちゃん」 
「みんな……ありがとうなの……」 

みんなが笑っている。 
そんなので許しちゃっていいわけ?アニメかなんかじゃないのよ……? 
また私の感情がささくれだってきた。 
あんたを探すためにここまで来たのに。 

美希が、俯いて、口を開いた。 
「教えるよ」 


「ハニーの、好きなヒト」 


102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 01:57:33.69 :Il5LSSpU0

ピン、と空気が張り詰めた。 
みんな眉を潜めた。部屋の温度が一気に上がった気がした。 
唯一、律子だけは、安心しきった顔を浮かべている。 

誰も言葉を発しない中、雪歩が真っ先に口を開いた。 
……珍しい事もあるものじゃない。 

「うん、教えて。私たちはもう大丈夫だから。そうだよね?」 
「えぇ~そうね~」 
あずさは、のんびりと手に頬を当てて首を振る。 

みんな、強く頷いた。 
なんだか私だけ置いてけぼりだった。 

美希が、言った。 

「ハニーの好きな人は……」 

ゴクリと喉が鳴る音が聞こえた。


119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 02:14:20.07 :Il5LSSpU0

「ミキなの」 

……はぁ? 

「ごめんなさい!ミキの勘違いだったの。ミキね、ハニーは千早さんの事が好きだと思ったの 
 だって、ミキ見ちゃったんだもん。千早さんとハニーが指きりげんまんして、約束してるとこ。俺がずっと傍にいるって」 

「あらそうなの?てっきり私も勘違いしてたわ~」 

……そういうことね。 

千早とあずさから逃げたのも、ビデオカメラに映ってた、あずさの「プロデューサーは嘘つき」って言葉も、そういうことね。 
そりゃそうよね。「一人だけえこひいき出来ない」プロデューサーが好きな本人からそう言われたら誤魔化すに決まってるわよね。 
律子は何故か知ってるみたいだから、「デタラメ」ってのも間違いじゃなかった。 
結局、美希の一人相撲ってオチね。 

「あはは……全く笑っちゃうわね……」 
乾いた笑いが漏れた。 


「ところで、どうしてミキは知ったの?」 
「あー……黙っててごめんなさい。それはね、コレよ」 

律子が一枚の小さな、茶色に変色した古びたメモを大事そうに両手で持っていた。


124:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 02:29:38.76 :Il5LSSpU0

「ミキに会って落ちついたら話そうと思ったんだけど、あんな事があって……」 
律子が続ける。 
「小鳥さんと私が事務所の整理をしてる時にね、細かい備品は小鳥さんが持ち帰ったんだけど 
 つい最近偶然挟まってるのを見つけたのよ。やんなっちゃうわよね……あの人ズボラだから……」 
一つため息を吐いた。 

美希が目を瞑って言った。目の端に水滴が溜まった。 
「そこにね、美希が好きだって書いてあった。美希、ガンバレって。ミキね、決めた。 
 天国のハニーに負けないくらい頑張っちゃうの!」 
「美、美希ちゃん……!」 
雪歩がまた泣いた。 
「よかった、よかったね。美希……」 
真が雪歩の肩を抱く。 

「…っ…申し訳ありません。わたくし、厠へ行ってまいります」 
貴音がおもむろに立ち上がり、黒服に伝えた後に、部屋から出ていった。 
トイレは部屋にあるわよ。 

なによこの茶番。結局ミキの勘違いが全てで、961に騙されて、アメリカまで行った揚句 
死ぬ思いして、このあっけないオチ? 

──ふざけるんじゃ…… 

「ふざけるんじゃないわよッッ!!!」


1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 21:10:48.42 :Il5LSSpU0

雪歩がまた泣いた。 
「よかった、よかったね。美希……」 
真が雪歩の肩を抱く。 

「…っ…申し訳ありません。わたくし、厠へ行ってまいります」 
貴音がおもむろに立ち上がり、黒服に伝えた後に、部屋から出ていった。 
トイレは部屋にあるわよ。 

なによこの茶番。結局ミキの勘違いが全てで、961に騙されて、アメリカまで行った揚句 
死ぬ思いして、このあっけないオチ? 

──ふざけるんじゃ…… 

「ふざけるんじゃないわよッッ!!!」


6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 21:22:01.93 :Il5LSSpU0

いつもの私だったらあー仕方ないわねー全くもーくらいで許したかも知れない。 
だけど、こんなギャグにすらならない笑い話で、今こんな状況に立たされていることに我慢が出来なかった。 

納得できないわ……できるわけないッ! 

美希が小さく縮こまって、不安そうな声を漏らす。 
「お、お凸ちゃん……?」 
「アンタのせいで私たちは死にかけたのよッ!」 
「えっ、どういう、こと……?」 

みんながしまったという顔を浮かべる。 

「待って、伊織!美希はもう何も覚えて無いんさー!」 
「だから余計腹が立つのよ!」 

美希が、あんたたちが何も知らないから……! 
ずっと抑え込んでた感情が爆発して、もうどうしようもなかった。 

「ま、待って、ミキね。お凸ちゃんがどうして怒ってるかわからないの……」 
「ッ……!!」 
「きゃあ!」 
手に持ってたうさちゃんを思い切り美希に投げつける。 
それでも足りずに、近くにあったものを拾って、手当たり次第美希にぶつけた。


12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 21:33:41.59 :Il5LSSpU0

「や、やめなさい!伊織!」 
「なによ!律子まで美希の味方しちゃって!」 

律子に背中からはがいじめにされても、暴れて抵抗する。 
気付くと、美希が頭を抱えて蹲っていた。 

「うぅ……」 
「あ……」 

真っ白な絨毯に赤い血が数滴落ちた。 
近くには、木製の目覚まし時計が転がっていた。 

「大丈夫かい、美希」 
「う、うん……」 
真が大急ぎで洗面所からタオルを持ってきて、あてがう。 
そして、私の方をキッと睨んだ。 

「何するんだよ、伊織!美希に謝れ!」 
「そうだぞ!いくらなんでもこれはやりすぎさー!」 
「……!」 

──1週間後、俺の前で非礼を詫びてみろ 

お兄様の言葉が重なった。 

な、なによ。なんなのよ……。 
やっぱり私が、全部悪いっていうの……


17:◆hoNTo9HMTQ:2011/10/13(木) 21:46:16.27 :Il5LSSpU0

「……うっ」 
泣きそうになるのを、歯を食いしばって堪えた。 
絶対に、泣くもんですか。 

「一体何なんだよ、伊織!ボクたちを困らせて!」 
「……!」 

一人で抱え込むには限界だった。 
全部、言って楽になりたかった。 

──もう日本には無事に帰れない。 

そう言えば、きっとみんなは最初はビックリするでしょうけど、最後には「仕方ない」って言ってくれる。 
私たちはよくがんばった。後は春香と千早に夢を託そうって。 
そのくらい私たちは強くなったわ。 

だけど、そんなの耐えられるわけ無いじゃないッ……! 

その日の夜は、なんだかみんな気まずくて、特に会話も無く寝た。 
深夜にどうしようも無く眠れなくて、起きると、美希と貴音のベッドだけもぬけの殻だった。


26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 22:05:48.01 :Il5LSSpU0

お兄様が来るまで、残り4日。 
この日は、朝起きるとお腹に抉れるような痛みが走った。 

「うぅ……!」 
低いうめき声を漏らして、丸まってお腹を押さえる。 
ライブの前でもたまにやった。 
多分、ストレス性の急性胃炎ってトコね……。 

大したことは無いでしょうけど、それにしても、この痛み。堪んないわ……。 

暫くベッドで悶えていると、貴音がノックもせずに入ってきた。 
「何やら昨日、騒ぎがあったようですが……」 

そう言いかけて、血相を変えて飛び込んでくる。 
「伊織、如何したのです?!」 
「何でも、無いわよ……」 
「早く、病院へと行きましょう」 

病院……水瀬財閥の……。 

「イ、イヤよ」 
「なっ何故です」


32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 22:16:52.16 :Il5LSSpU0

冷や汗が止まらなかった。目を強く瞑る。 
貴音の背中をさする手の感触と刺すような痛みが混ざり合う。 

「寝れば治るわ」 
「……やはり、何かあったのですね。水瀬財閥側と」 
「……」 

その勘の鋭さ。たまに厄介よね。 

貴音の、普段より低めの声が暗闇に響いた。 
「わたくし達には、話していただけないのでしょうか?」 
「……だから、何でも無いって言ってる、じゃないの」 

あんたたちに関わる事だから、言えないのよ。 

「……数奇なものですね」 
「えっ……」 
「いえ、何でもありません」 

そう言って、貴音はお見舞いの言葉をいくつか言って、部屋から出て行った。 
またドアがゆっくり開く音がして、目を向けると、薬と水が床に置いてあった。


37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 22:29:26.95 :gEFQVcCs0

その日はずっとベッドで寝ていた。 
そして朝、目が覚めると、胃の痛みは大分治まっていた。 

ドアを開けると、皆が広間に座って、退屈そうにテレビを見ていた。 
亜美と真美が地面に寝転がっている。 
「英語ばっかりでわかんないね……」 

ま、数日もホテルで缶詰にされてりゃ、ストレスが溜まるのも無理ないわね。 
これから先の予定も何もまだ伝えていないわけだし。 

「……おはよう」 
私が小さく漏らすと、みんなの、非難の目が突き刺さった。 
真が、こっちを見て、すぐに目を背ける。 
まだ一昨日のことが尾をひいてるみたい。 
……もうホント、やんなっちゃうわ。 

美希が見るなり駆け寄ってくる。 
「あ、あのね!おデコちゃん、ミキ、謝るの!ごめんなさいなの!」 
「……もう気にしてないからいいわよ」 

違うのに。本当は私の方こそ謝るべきなのに。 

私はまだ迷っている。


44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 22:44:34.44 :gEFQVcCs0

特に何もしないままナンセンスなテレビ見て、マズいランチが運ばれてきて、 
暇が出来たら、誰かが気をきかせて話題を振る。 

大体の話題は「春香」 

なんだかもう、イライラする気も起きないわよ……。 
逃げることも進むことも許されない。 
神様がいるんだとしたら、シュミ悪すぎよね。 

そして、夜がまた来て目を覚ますと、美希と、貴音のベッドと、ついでにあずさのベットが空席だった。 
風に当たろうと思って、黒服に屋上へ行くと伝えた。 

「うぅ……寒いわね……」 
あまりの寒さに、流れた鼻水を啜る 
屋上のテラスへ行くと、夜景がピカピカと輝いてた。 
ぼんやりと、長髪が夜風に揺れていた。 

「あらあら~伊織ちゃん」 
「……そんなカッコじゃ風邪ひくわよ」 

あずさは薄手の紫のカーディガンを羽織って、ハリウッドの街を見下ろしていた。 
また迷子、なわけないわよね。


49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 23:01:56.75 :gEFQVcCs0

「もう、いつのまにか冬なのね~」 
「……」 
あずさは相変わらずの、ゆったりペースだった。 
ちょっと、ほんのちょっとだけ心が落ちついた。 

「伊織ちゃんも、風邪ひいちゃうわ~」 
「……フン」 
鼻を啜りながら、あずさの隣に座る。 

ハリウッドの夜景もまぁまぁだけど、やっぱ日本が一番よね。 
上海も捨てがたいけど。 

あずさは、微笑みながら続ける。 
「……美希ちゃんは、幸せね」 
「えっ」 
「プロデューサーさんは、やっぱり嘘つきね~」 
「……」 

あずさはプロデューサーが亡くなったあの日から、欠かさず、土曜日にお墓へ行ってるって聞いた。 
そう、なんとなくわかってたけど…… 

「あずさ、やっぱりアンタも……」 
「うふふ」


55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 23:16:58.54 :gEFQVcCs0

「あの人は、私にも傍にいてくれるって言ってたのよ~」 
「はぁ……?!」 

それを聞いた私は思わず頭を抱えて、ため息が出た。 
な、なによ……。 
あんのバカプロデューサー……女心ってもんが全くわかってないんだから……。 

「とっても嬉しかったわ。でも、もういいの」 
「えっ」 
「土曜日は、もうお夕食を作りに帰らなくちゃ」 
「……」 
「嘘つきなヒトより、ちゃんと私を待ってくれる人がいるから」 
「あずさ、あんた……」 
「でも、困ったわね~既婚でアイドルなんて出来るのかしら~」 
そう言って、また明るい声に戻って、頬に手を当てた。 

「う~ん、意外と珍しくていいかも知れないわね~」 

……。


61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 23:30:51.56 :gEFQVcCs0

あずさは終始笑顔だったけれど、更にとびきりの笑顔で最後に言った。 
「気付かせてくれたのは、響ちゃんね~」 

「……」 
「キレイね~伊織ちゃん」 

ずーっとホテルの殺風景な壁に囲まれてたから、いつもより私好みに、ゴージャスに見えた。 
気持ちは落ちついたけれど、何の解決にもなってないのよね。 
あずさに言うか言わないか迷っていると、ドアの開く音が聞こえた。 

「……先客がいるようですね」 

その口調は、一人しかいないわね。 

「あら~貴音ちゃんも夜景を見に来たのかしら~」 
「いえ、私は月を眺めに参りました」 

貴音の銀髪が、ムーンライトに照らされて輝く。どこか貴音の表情は寂しけに見えた。 
しかし毎夜毎夜おんなじ月ばっかり見てて、よく飽きないわね。 

「……三浦あずさ、丁度良い頃合です。ずっと、尋ねたいことがありました」


68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 23:47:00.92 :gEFQVcCs0

「あら~何かしら~」 
「ずっと、心残りでした。ですが先日の件で決心がついたのです」 
貴音が、少しだけ俯く。 
そして、夜空を見上げたまま言った。 

「プロデューサー殿の、最期の言葉を聞きたいのです」 
「……」 

普段の、どこか抜けたあずさの表情が変わった。 
眉をひそめて、唇が一文字に結ばれる。 

そういえば、あずさの電話が最後だった。 
それで、その夜にプロデューサーは自宅で倒れたんだった。 

あずさがゆっくりと、口を開く。 
「……仕事やっと取れました」 
「……」 
貴音はそれを、真上の月を見ながらただ黙って聞いていた。 

「俺、今までみんなのプロデューサーやれてほんっとに良かったです、だったわ」 
「……!」 
「もしかしたら、プロデューサーさんは、自分がもうダメってことを解っていたのかも知れないわね」 
「感謝……いたします……!」 

それから目を一度、キツく瞑って、急に振り返るように貴音は背を向けて去って行った。


72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/13(木) 23:59:00.58 :gEFQVcCs0

あずさが、私の方へゆっくりと振り返る。 
「……伊織ちゃん」 
「な、なによ」 
「伊織ちゃんと貴音ちゃんは、仲良しね」 
「ま、まぁ。認めるわよ……」 

色々とあったから……。ま、色々とね……。 

「貴音ちゃんとお話してあげてくれないかしら?」 
「えっ」 
「……貴音ちゃんも、プロデューサーさんの事が好きだったと思うから」 
「ええぇ……まさかでしょ?!」 

ど、どうしてそんなことわかるのよ。 

「うふふ。それはね~」 
あずさがニッコリと微笑んで続けた。 
「ズバリ、お墓参り、かしら~」 

……。 

「し、仕方ないわね」 

私は、貴音を探すことにした。 
去り際に振り返ると、あずさはまた元の位置に戻って夜景を見下ろしていた。


77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 00:08:48.87 :s8kdoNh00

「あ~も~!」 
一体どこに消えたのよ!いっつも、そうよ! 
フラッと消えたと思ったらいつのまにか現れる! 

砂浜に浴衣姿で立ってた時は心臓止まるかと思ったわよ……。 

黒服にちょっかい出しながら、ホテル内を歩き回っていると、大きなテラスに 
別の黒服と、貴音の銀髪がちょろっと見えた。 

背後にゆっくりと立って、声をかける。 

「泣くくらいなら最初から聞くんじゃないわよ」 
「伊織……」 

振り返ると、貴音の頬には乾ききってない涙の筋が見えた。 

……アンタはいっつもそうよ。 
人前では決して弱みを見せない。 
いつも自分一人で抱え込む。 


「伊織に、言われたくありません」 
「な?!あ、あんた心が読めるの?!」 
「声に出ていました」


82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 00:20:37.60 :E7+As31b0

ホテルに備え付けのバスローブを、乱さず着こなす貴音の横に並ぶ。 

「まだ、白状してくれる気は無いのですか?」 
「……」 

いきなりの直球な質問に、顔を背ける。 
……順序ってもんがあんでしょうが。 

こうして、待っててもどうしようもない事はわかってる。 

ふと、 
貴音の目が、一瞬だけ真剣味を帯びて、それから一度強く瞑って、微かに微笑んだ。 

「わかりました」 
「……」 
「名を名乗るなら、まず自分から、ですね」 
「は?」 
「わたくしの秘密をお教えしましょう」 

秘密って大体事情は全部、貴音から聞いたけど…… 
まだなんかあるっていうの? 

「『密会』についてです」 
「……なっ!」 

貴音は、961の嫌がらせのことも、会社のことも、961に入ってからのことも全部話した。 
だけど、水瀬が調査した時に聞いた噂。『密会』だけは誰にも決して話さなかった。


91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 00:34:30.31 :E7+As31b0

「ですがその前に……」 
チラリと黒服を横目で一瞥する。 
私の耳元へ、口先を持っていく。 
「あの者たちを、どうにかしていただけませんか」 
「……」 

私は、英語で黒服に視線を外してくれと頼んだ。 
軽くボディチェックをされて、テラスなら逃げ場が無いと判断したのか、背を向けた。 

「いずれ、皆にも明かさねばならないことでした」 
「な、何だっていうのよ……」 

そうして貴音は、私に背を向けた。 
「……」 

バスローブの帯を解いて、そして…… 
肩からはだけさせた。貴音の白く、きめ細かい背中が露出していく。 

「ひっ……!」 
「そう、961プロデューサーが言う通り、わたくしは元より使い捨てだったのです」 

思わず、悲鳴が漏れて、口元を手でおさえてしまった。 
貴音の背中には、いくつもの赤い火傷の跡や、ムチで叩かれた痕跡が生々しく残っていた。


101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 00:40:48.05 :E7+As31b0

「今まで、ずっと隠してきたことです」 
……そういえば、これまで貴音は決して一緒にお風呂に入ったり、背中の空いた服を着てることが無かった。 

「な、何よこれ……」 

背を向けた貴音の声が段々と震えてくる。 
「わたくしと近しい富豪殿は言っておられました。「お前みたいなヤツは単純に汚すよりも、こちらの方が興が注がれると」」 
「ひ、ひどい……」 
「わたくしの苦痛に歪む顔を見て、大層、喜んでおられました」 

……。 

「わたくしの961でのきゃらくたーでは、水着など露出のある仕事などは不要でした。ですがいずれ暴かれることでしたでしょう」 

じゃあ、貴音は知ってたってこと? 
961でトップアイドルに、仮になれたとしてもその先は無いって。 
それで、765プロに戻ったとしても……もうアイドルとしては……。 


「あんた……ほんと自分勝手よ……!」


107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 00:54:09.48 :E7+As31b0

「わたくしは、構いませんでした。目指した先にたとえなにもなくても」 
貴音はまた空を見上げた。 
「あなた様の夢が、一瞬でも叶えられれば」 

貴音は、バスローブを着直して、帯をキツくしめる。 
振り返ると、またいつもの微笑を浮かべていた。 

私は逆に、俯いてただ唇をかみしめていた。 
すぐ隣の貴音、届くか届かないかの声で言った。 

「何で、あの時言わなかったのよ……」 
「……」 
「千早の時に一緒に治してもらえば良かったでしょ!水瀬の医療技術なら出来る!」 
「……」 

貴音は髪をかきあげて、言った。 

「それは、わたくしはわたくしだからです」 
「えっ……」 
相変わらず、もったいぶった言い方だった。 
「ですから伊織は、伊織のままでよろしいのですよ」 
私は私のまま、ね……。 
「あ、あんたに言われなくてもわかってるわよ」 
「……ふふっ、そうですか」 

でも、一応礼を言っておくわ。ありがと、貴音。 
私が絶対、なんとかしてあげるから。


123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 01:08:41.74 :E7+As31b0

とはいっても…… 
「どーすればいいのよ……」 

長く長く続く廊下をひたすら歩く。黒服がピッタリと背後から5メートルを尾行してくる。 
「いちいちついてくるじゃないわよ!ゲラウトッ!」 
しっしっと手を払っても、相変わらず無表情で尾行してくる。 

う~ん…… 
また真に黒服をのしてもらって脱走……しても後が無いわね。 
いっそ人質に……余計アイドル復帰が遠のくわ 
この事件をバラすと脅す……ダメね、いざとなったら向こうも何をしてくるかわかったもんじゃない 
こっちでお金を稼ぐ……現実的じゃないしパスポートが取得できない、か。 

「あ~!も~!」 
頭をかきむしっていると、部屋の前についた。 
もう、今日は遅いし寝ましょう。 

ドアを開けると、一つの部屋に灯りが灯っていた。 
……まだ誰か起きてるのね。あずさのベッドを確認すると、シーツに被さってアホ毛が揺れていた。 


となると、美希ね。毎夜毎夜、抜け出してるみたいだけど一体何してるのよ……。


126:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 01:16:28.73 :E7+As31b0

そういえば、私、美希と今ギスギスしてるのよね。 

……。 

ここは、大人の対応ってヤツかしら。 

部屋に近づいて、ゆっくりと開けると、美希が蹲っている。 
肩を抱きかかえるようにして、小刻みに震えていた。 

「う……うぁ……」 
いつもの、怠けた声じゃない呻き声が聞こえた。 

「ちょ、ちょっと……美希……」 
「お、おデコちゃん、ミ、ミキ、なんかダメなの、よ、夜になると震えが止まらない」 

私を見上げるように顔を向けると、ウサギか死人っていうくらいに顔が、青ざめて目が真っ赤に充血していた。 

「な、何だろこれ……す、すっごく怖い気分なの……」 
「……あんた、まさか!」 
「ハ、ハニー……助けて……」


138:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 01:30:10.36 :E7+As31b0

忘れてた……! 
あれからすでに数日もたってる。多分今が一番キツい時……。 

「手、手が痺れるの……」 
美希の手が小刻みに震えている。 
「へ、変な気分になるの……」 
美希の息が、荒く、胸がそれに合わせて上下している。 

……961のヤツ。これを狙って美希にわざわざ吸わせたのね。 

「なんだかさ、寒いの……」 

「ね、ねぇ。どうすれば治るのかな……?」 
「……っ!」 

見てられなかった。美希は、クスリの事を知らなかった。 
アイツじゃなくても、一本だけ、吸わせてあげたい気分に駆られた。


159:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 02:05:28.18 :E7+As31b0

「はぁ……はぁ……!」 
美希の、茶髪がぐしゃぐしゃに掻きあげられた。 

「あぁ!あぁ!」 
壁に、何度も頭をぶつける。 
美希の、額に貼ってある絆創膏が剥がれて、乾ききってない生傷が剥き出た。 

「す、すっごくか、悲しい気分になるのに、おかしいよ。涙も出ないの……」 
顔を両手で覆って、悶え出した。 
「も、もう、心が、壊れそうだよおぉぉ!」 

あんたも、ずっと黙ってた。握った手に力が入る。 
「なによ……」 
やっぱりムカつく、ムカつくわよ……! 
仲間だったら、ちゃんと言えばいいじゃない……。 

「ねぇ、おデコちゃん……どうすればいいのかな……」 
美希が、震えた手で私の裾を掴んでくる。 

「……」


164:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 02:18:52.23 :E7+As31b0

「ふざけんじゃないわよ……」 
「えっ……」 

美希の肩を思いっきり掴む。思い切り揺らす。 
「アンタ!私たちの、あのプロデューサーが選んだ相手なんでしょ!」 
「お、お凸ちゃ……」 

美希の冷や汗でべっとりと湿った顔に、驚きの色が浮かぶ。 
「だったら、そんなのなんかに負けないで頑張んなさいよ!あんた天才なんでしょ!」 
お兄様の顔が、ほんの一瞬だけ浮かんだ。 

「765プロの後期はアンタの活躍だけで持った!」 
美希の『Relations』のヒットで……。 
「今度は、あんただけに背負わせないわよ」 
「……」 

「この水瀬伊織ちゃんがアンタに負けないくらいのスーパーアイドルになってやるんだから!」 

それで、次の日、美希はまた元通りに「あふぅ」って言いながら、起きてきた。 
私と、美希の様子が明らかに変わったのを見て皆が不思議そうな顔と、安心した顔を浮かべた。


169:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 02:30:15.61 :E7+As31b0

そしてお兄様がやって来る前日になった。 
朝、部屋にみんなを集める。 

「急にどうしたんだよ」 
真がハブラシを口に咥えながら、言った。 

「帰国の日程がようやく決まったの?」 
律子が、やれやれと言った具合に髪をヘアバンドで止めている。 

「伊織ちゃん!めんす終わったのぉー?」 
やよいが、飛び上がる。 

あずさと貴音は、後ろの壁に凭れかかって、微笑みを浮かべていた。 

「いやーやっぱり沖縄料理が一番さー!」 
響が、パジャマのままキッチンへ向かった。 

「んっふっふ→ののワさん人形買っちゃった」「お尻押すとヴぁい!って言うよ!」 
亜美と真美が人形で遊んでいる。……よく取り上げられなかったわね。 

「おデコちゃん……」 
美希が、不安そうな顔で見つめている。 

私は、悩んだ末に選んだ。決めた。 
ひとつ深呼吸して、口を開く。 

「……みんな、ちょっと話があるの」


312:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 19:52:32.65 :E7+As31b0

……。 
ついに運命の日がやってきた。 

「後悔なんかしてないわ……」 

一週間前と同じ、周りにあるのは机、カーテン、テレビ、ニュースペーパー、電気スタンドだけ。 
BGMのない静かな病室で一人、お兄様を待つ。うさちゃんは置いてきたわ。 

やがて、カツカツと規則的な足音がこっちに近づいてきた。 

予定時刻ピッタリにドアが開かれる。 
そして、無機質な声が響いた。 

「伊織、一週間ぶりだな」 

「お兄様……」 

相変わらずの、ガラス玉みたいな目でこっちを見てくる。 
昔は、いくらお金にしか興味が無いお兄様とはいってもここまでじゃなかったのに。 

変わったのは、私とお兄様一体どっちなんでしょうね。


315:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 20:01:17.44 :E7+As31b0

ドアをゆっくりと、閉める。 

パタンと一つ小さな音が鳴って、それから物音ひとつ無くなった。 
部屋には、私とお兄様ふたりきり。 

「……」 

お兄様は黙っている時が一番怖い。 
思わず、ひるんで一歩後ろへ下がりそうになるのを、グッと足に力を入れて堪える。 

負けてたまるもんですか……。 

「さて、日本には勘当という法律は無いからな」 
そう言って、手にもっていた書類を手の甲で数回叩く。 

「せめて、後々面倒にならないように直筆の誓約書くらいはしたためてもらおうか」 
真っすぐ、私の前へ書類を突き出してくる。 

「……」 
「どうした?」 

負けないわ……。 

「いいえ、その必要は無いわ、お兄様」


319:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 20:11:44.73 :E7+As31b0

「そうか」 
わかってたと言わんばかりの語気で、手を引き戻す。 

「では、謝罪してくれるんだな」 
腕時計を一度確認して、私の方へ顔を向ける。 
「時間が無いんだ。早くしてくれ」 
「……」 

……これ言っちゃったら、後戻りはできないのよね。 
喉がカラカラに乾いてる。あぁ、オレンジジュースが飲みたいわ……。 

──伊織は、伊織のままでよろしいのですよ 

貴音の言葉を思い出す。 

私は、もう一度口を開いた。 

「……その必要も無いわ」 
「……」 

お兄様の肩が、一瞬だけピクリと揺れた。 
「どういうことだ?」


323:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 20:22:40.61 :E7+As31b0

顔を上げて、お兄様を見つめる。 
「お兄様、今日の時間は?」 
「30分だな」 
「……十分よ。ついてきてほしい場所があるの」 

そして、私とお兄様はすぐ近くの無人の倉庫へとついた。 

「せっかく兄妹で会えたんだから、二人っきりでもいいでしょ」 
「……」 
お兄様が合図をすると、何十人もの黒服が立ち止まる。 

扉を閉めると、灯りが無い部屋は真っ暗になって、何も見えなくなった。 
お兄様の声が暗闇から響く。 

「こんなところに連れだして何をするつもりだ」 

自分でも呆れちゃうくらい強引な作戦だけど、これしか方法が無いわよね……。 


332:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 20:41:41.40 :E7+As31b0

みんな、私の提案に賛成してくれた。文句の一つも出なかったわ。 
あんたたち、ちょっとはやるじゃない。 

「にひひっ」 
思わず、これから起こることを想うと、笑い声が漏れちゃうわ。 
ビックリさせてあげるんだから。 
「ふぅ……」 
深呼吸をひとつすると、ホコリを吸い込んで煙たかった。 

昨日までの生き方を、否定するだけじゃなくて 
これから進む道が、見えてきたわ。 

どこまでいっても、水瀬は水瀬で、そして、私はアイドルなんだから。 

ひとつ、パチンと指を鳴らす。 
暗闇でスタンバイしていた律子が、スイッチを入れる。「カチッ」という音が小さく鳴った。 

「これは……」 

一気に、暗闇が晴れた。スポットライトが倉庫の奥を照らす。 
ステージ衣装も無い、観客も一人。照明も一つ。765pro allstarsも安くなったものね……。 

水瀬の基本理念『欲しいものは、勝ちとれ』 
私は、みんなが待っている舞台へと片足をかけて、振り返ってお兄様を指さした。 

「勝負よ、お兄様。私たちの特別コンサート、10人分の飛行機のチケットで買ってもらうわ」 


「……ほう」 
その時、お兄様が、微かに笑った。


339:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 20:54:06.64 :E7+As31b0

お兄様が、静かに用意していたパイプ椅子に、足を組んで座った。 

私たちは円陣を組む。ライブの前には必ずやることだった。 
765プロが倒産して、こうしてコンサートするのは2年半ぶり、か。 

春香、千早一足先にやらせてもらうわよ。 

みんなの緊張した笑顔が、隣に見える。 

チャンスは一度きり、ミスは許されない。完璧にやりきること。 

深呼吸をひとつして、一斉に大声で叫んだ。 

「春香と、千早の分まで!」 
「歌って!」 
「踊って!」 
「最後まで!」 
「力いっぱい!」 
「がんばるのぉ~」 

リーダーは私。 
「いくわよ!元765プロ、ファイト!」 

9人分の声が一つに合わさった。 
「おー!」 

曲は……選択肢は一つしか無かった。 
まさにギリギリの状況ってことね。燃えるじゃない。


347:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 21:04:25.20 :E7+As31b0

何もかも、決まったのはつい昨日のこと。 

……。 

「……みんな、ちょっと話があるの」 

……。 

「うん、わかった。いいよ。けれど……」 
真が顎に手を当てる。 
「わ、私たち、アイドルやめて2年半もたってる……」 
雪歩のおどおどした声が聞こえる。……ほんっと頼れるんだか頼れないんだか。 
「さすがに、ダンスも歌も忘れちゃったね」 
「急にセッションなんてムチャだよ」 
亜美と真美が不安そうに顔を見合わせる。 

知ってるわよ。だからこそ、一曲だけある。 
春香のために、皆で集まった時に歌うために作った曲、振り付けも全員で一生懸命考えた…… 

「……『READY!!』があるでしょ」 

「あ……」 
皆が目を見開く。 
「そ、そうか!それならいけるよ!」 
皆の顔がパァッと明るくなる。 


お兄様に勝つには、唯一これしかない。


353:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 21:16:44.00 :E7+As31b0

「ねぇ、『READY!!』って、なに……?」 

一斉に、振り返った。声の主は美希だった。 

あ……。 

そうだ。そうだった。 
この曲は、半年間の間に、美希を探してる間に作った曲だったわ……。 
美希が知ってるハズが無い……。 
さっきのお祭りムードが、一瞬にしてお通夜になる。 

……事情を説明すると、美希はひとつ「ふ~ん」とだけ唸った。 
そして、いつもでは考えられないくらいの、真剣な顔つきで言った。 

「ねぇ、ミキにその曲聴かせて?」 
音楽プレーヤーを渡して、私たちの生録音の『READY!!』を聴かせた。 
目を瞑って、リズムに合わせて頭が揺れる。 
「とっても、いい曲だね」 
ミキは真剣な顔のまま続けた。 
「じゃ、次はダンスを教えて欲しいの」 

真が、振り付けを一通り行う。ミキはそれを、瞬きもせず見ていた。 

そして、 
「おっけー、ミキもう覚えたよ」 
親指と人差し指をたてて、ウィンクしながら、その指を頬の横で振った。 



……ハァ?!ウ、ウソでしょ?!


358:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 21:27:10.99 :E7+As31b0

そして、位置についた。左には真顔の真美、右には春香のポジションがぽっかりと空いていた。 

遠くから律子の緊張した声が聞こえる。 
「いくわよ……みんな……」 

──ARE YOU READY!? I'M LADY!! 

律子が、ボタンを一つ押すと、ついに曲が始まった。 

ゆっくりと、片手を顔の前へ上げる。もう片方もあげて、強く握る。 
そして、腰へと手を当てる。手の平にじっとりと汗をかいている。 

多分、皆も同じ気持ち。 

大丈夫、大丈夫よ。何百回も練習した。 
振り付けは体で覚えてる。 

私たちの、運命がかかった一曲。 

失敗すれば、アイドルの道は無くなる。 


361:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 21:37:00.64 :E7+As31b0

お兄様は無表情で私たちの方をじっと見つめている。 
楽しんでるんだか、退屈してるんだかまるでわからない。 

絶対に認めさせてあげるんだから……! 
私たちは捨てるには惜しいんだってくらいの、とびきりのアイドルだってことを。 

──STARDOM光り光るSPOTLIGHT 
──眩しい輝き まっすぐDEBUT 

美希の方を見ると、完璧だった。 
私たちの動きに合わせて、遅れずにピッタリとついてくる。 
この舞台を用意するために思考錯誤したから練習する暇なんて無かったのに。 


……やっぱりあんたやるじゃない。 

段々と、ノってきたわ……。 
昔のキラキラのステージを思い出して、緊張した顔が解れてくる。 
いける……!いけるわ……!


367:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 21:47:57.11 :E7+As31b0

──夢は叶うモノ 私信じてる 
──さあ位置についてLET'S GO!! 

そろそろサビに入る。心の底から楽しんでいた。 
振り向くと、みんな、汗を飛ばしながら笑顔で踊っていた。 
殺風景な倉庫が、不思議と光輝いて見えた。 

──いおりんのダンスマジ最高! 

お兄様しかいないハズの場所に、そんな歓声が聞こえた。 
これなら、どんな会場でも満員にしてみせる!できる! 

──ARE YOU READY!! I'M LADY!! 歌をうたおう 

今まででベストと言えるくらいにバッチリ、サビに入った! 
最高!最高の気分よ! 

ねぇ、あんたたちやっぱり私たちはスーパーアイドルなんだわ! 
日本中のオーディエンスを、コーフンさせてあげちゃうんだから! 

「う……うぅ……」 

えっ…… 

曲に混じって、背中から低い呻き声がかすかに聞こえた…… 
後ろにいるから姿は見えないけど、この声は…… 

響……よね……?


372:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 21:57:27.76 :E7+As31b0

……こういう極限状態にいると、普段生活してる時とはまるで感覚が違うものね。 

最高潮のテンションに、ヒビがひとつ入った感じが私たち全体に伝わる。 

だけど、ダンスを止める事は出来ない。そのまま続ける。 

「ひ、響ちゃ……」 

今度は雪歩の声……。 

な、なによ……一体何が起こってるの……? 
後ろを振り向きたい衝動に駆られるけど、まだ曲は終わっていない。 
中断は許されない。 

──ひとつひとつ 笑顔と涙が…… 

あとワンフレーズで、終わる。あとちょっと、あとちょっと。 
次は、この曲の最も盛り上がるトコロなんだから。 


全員で、一斉に飛び上がるフレーズ。 
ここは、絶対に決めなくちゃ……。


375:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:04:34.12 :E7+As31b0

──夢になる…… 

もうちょっとで、もうちょっとで終わる。 
お願いだから何も起こらないで。 

ここまで来て…… 

──ENTERTAINMENT! 

私はつま先に力を込めて飛び上がった。 


「うぎゃあああ!」 
響の叫び声が聞こえた 
全員が一斉に振り返ると、苦しそうに足を抑えて倒れた響がそこにいた。 

──ARE YOU REA…… 

曲が止まった。 


ここまで来て……これで終わりだっていうの……。


395:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:14:23.43 :E7+As31b0

全員がうずくまる響に駆け寄る。 

なんでよ……響は、765プロで一番ダンスが得意なハズ……。 
ミスなんか絶対にするハズない……。 

「響ちゃん!やっぱり足……!」 
雪歩が真っ先に駆け寄った。倒れる響の肩を掴む。 

「う……うぐ……ご……ごめん……ごめん……」 
響が顔をぐしゃぐしゃをして泣きだす。 

「ごめん……自分のせいで……」 
たくさんの涙と鼻水とヨダレが舞台の床に染みを作った。 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」 
顔を覆って、丸まって、響はひたすら謝り続けた。 

「ウソ……でしょ……」 
私は、膝を落として、ただ愕然とするしかなかった。 

「……ダメだな」 
お兄様が、パイプ椅子からおもむろに立ち上がった。 
そのまま背を向けて、出口へと歩き出した。


404:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:23:41.71 :E7+As31b0

「響さぁぁぁぁん!!」 
やよいの泣き叫ぶ声が聞こえた。 

──待って。 

「……ま」 
声が出ない。 
このまま、お兄様が帰ったら、私たちは今度こそ終わり 
不法入国者として、全員犯罪者になる。 

「……待って……お兄様……」 
「もう30分だ」 
振り返りもせずに、真っすぐ進む。 

「待って……待ってください……お兄様……うぐ……」 
「落ちこぼれは所詮落ちこぼれか」 

……! 

「お願いします!あと5分だけ!5分だけ時間をください!」 
倉庫に、ゴンという鈍い音が響いた。 
私のオデコがじんわりと熱くなった。 
後ろから、みんなの声が驚く聞こえた。 
「い、伊織?!」 

お兄様が音に振り返る。 
「……ほう」 

私は今、全員分の夢を背負ってる。土下座でもなんでもしてやるわよ……!


414:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:35:56.85 :E7+As31b0
「……う……うぐぅ……」 
倉庫には響の嗚咽だけがこだましていた。 

コンコンと、指先で時計を叩く音が聞こえた。 
「……5分」 
「えっ」 

「重要な会議に遅刻することになる。これで数万ドルの損失だ」 
そう言って、またパイプ椅子に足を組んで腰掛けた。 

……。 

「い、伊織……ごめんよ……」 
響は、私のほうを見上げた。よくわからない液体で顔中べとべとになってた。 

はぁ……。 

「大丈夫、あとはこの伊織ちゃんに任せなさいよ」 


私は皆を舞台から下ろして、一人きりになった。


427:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:45:14.74 :E7+As31b0

皆が、舞台の下で私を心配そうに見つめる。 

心を落ち着かせる。 
「すぅ……」 

ダンスも無い、BGMも無い。 
一度失敗した後の、この逆境……。 

この5分間に、私の、水瀬伊織の全てをかけるわ。 

「……いつものように空をかーけてた」 

「あ……これ……」 
やよいが、声をあげた。 

倒産後も家で、これだけは練習してた曲。 
あのバカプロデューサーがいっちょまえに、私のために作った曲。


431:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:52:45.61 :E7+As31b0

──いつものように空を翔けてた。ずっとずっとどこまでも続く世界。 

……。 

「お兄様!お兄様!今日は収録があったのよ!ジャンバルジャンも一緒に映ったわ!」 
珍しく家にいた、新聞を広げているお兄様に走り寄る。 

「そうか。よかったな伊織」 
お兄様は、こちらを振り向いて、また新聞に目を戻す。 

「えぇ、だから~お兄様~」 
そのまま肩にすり寄る。 
「今度アメリカに出張に行くんでしょ?そこでの限定バッグがあるのよ。お願い!お兄様」 

お兄様は、新聞をたたむ。表情も、声色も変えないけど、どこか楽しそうなのは解った。 
「お前のわがままに付き合うのは何度目だろうな」 

それを聞いた私は、目を輝かせた。 
「ありがと!お兄様だーいすき!にひひっ」


439:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 23:01:18.52 :E7+As31b0

──いろんなことが起きてる街は、スピードについて行くだけでもう精一杯 

……。 

「うあああああ!!!」 
何でよ!何で私の許可無しに勝手に死ぬのよ!あのバカ!バカ!バカ! 
うさちゃんを抱き締めて、ひたすら私は泣きじゃくる。 

後ろからお兄様の声が聞こえる。 
「伊織、いつまでそうしてるつもりだ」 
「うぅ……うあああ……」 

「水瀬財閥の力なら、他の大手プロダクションにも入れる」 
「……うぅ……」 
「765プロはもうダメだ」 
「……!」 

それを聞いた私は、お兄様に向かって、叫ぶ。 
「お兄様に私の気持ちなんか一生わからないわ!」 
「……」 

屈辱だわ……! 
他のプロダクションに入るなんて……絶対に……イヤよ……!


442:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 23:11:03.31 :E7+As31b0

──そんな時見つけた。ボロボロになったキミ 

……。 

「……うぅ……」 
「伊織、いい加減にしろ」 
ある日、お兄様の声に、かすかに怒気が篭った。 

「お前はいつまで甘ったれでいるつもりだ」 
「お兄様は……お金が恋人だものね……」 
「……」 
「大事なヒトを亡くした気持ちなんて!わからないでしょ!」 

お兄様は何も言わず部屋から出てった。 

私に慰めの言葉もひとつもかけない。家に帰って来ても数十分しかいない。 
……今日は、私の誕生日なのに……。 

新堂が数十段のケーキを持ってきてくれたけど、一口も食べなかった。 
ふと、テーブルに置いてあった各国の新聞の中に、ある記事が目に飛び込んだ。 

──四条貴音、961プロに移籍 

な、なによこれ……


456:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 23:18:13.23 :E7+As31b0

──なぜそんなに悲しいほどココロに傷負ってるの?夢や希望打ち砕かれて諦めたんだね。 

……。 

そして 
貴音が突然、私の家へやってきた。 

「……水瀬伊織には、たいそう世話になりました」 
そう言ってお父様へ深々と頭を下げる。今思うとどこか、貴音の顔は暗かった。 
お父様は、そんな貴音に対して頭を下げる。 

「……!」 

プロデューサーが死んだら、さっさと別のプロダクションに移籍ってわけ……? 
お兄様と同じよ……! 

「そこにいるのは、水瀬伊織ですか?」 
貴音が遠くにいる私に気付く。 
「……裏切り者」 
「えっ。なんと言ったのです、水瀬伊織?」 

私は背を向けて水瀬の敷地から飛び出した。 
もうこんな家、イヤよ……!出てってやるわ……!


462:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 23:29:19.54 :E7+As31b0

──ボクがチカラになってあげるよ キミの全てはここで終わりじゃない。以前の自分はリライトしよう。嬉しいことで。楽しいことで。 

……。 

「どうか、お願いします。如月千早を助けてください」 
「……!」 
私の足元に、貴音の後頭部が月明かりに照らされていた。 

この時、悔しいけど助かったって思った。家出があまりにも辛くて。 
水瀬家のフカフカのベッドと、高級ジュースが飲みたかった。 
家へ帰って、言った。 
「帰ってあげる代わりに、私の友人の手術を、しなさいよ」 

ほんっとお子様ね……。 

──いつまでもこのままでいたいね。ずっとずっと一緒にいられたらいいね。 

……。 

真と、雪歩が病院の椅子であらびきポークフランクを食べている。 

「あ、あんたね。そんな事情があるなら……」 
「人には、誰にでも秘密があるものです」 
「あ、謝らないわよ」 
「ふふっ」 

そういえば、私まだ貴音にちゃんと謝ってないわ。


467:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 23:42:23.88 :E7+As31b0

──元気が戻ってきて良かった。フタリでがんばってきたよね。でもそれも終わり。 

……。 

突然、病院にみんなが集まった。偶然にも程があった。 
「運命というものでしょう」 
貴音が目を伏せて言った。 
2年ぶりに会う皆は、まるで変わってなかったわ。 
律子が言った。 
「私にちょっと考えがあるの。ビデオ撮影をしましょう」 
「えっ」 

それからの半年間は、とにかく楽しかった。 
だけど、春香と美希がいないことを、口には出さないけれど皆気にしていた。 

──そろそろ来るんだね。最後の週末が。 

……。 

やった!やったわ!765プロの最後のメンバー!美希が見つかった! 
これで、765プロはなんとかなるかも知れない!お兄様も認めてくれるわ。 

お兄様の携帯電話にかけた。 
「手続きやらなんやらは、全部すっ飛ばして……」 
『伊織、お前は落ちこぼれだ』 

えっ……。


471:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 23:54:14.48 :E7+As31b0

──もしもボクが空に帰る刻が来たらどうするの?すごく泣いて 手を掴んではなれないのかな。 

……。 

「うわああ!!伊織!」 
みんなの泣き顔が、ぼんやりと見えた。 
嬉しかった。私が、もし死んじゃっても泣いてくれる人がこんなにいるのね……。 

「お兄さま……やっぱり……私は……間違っていなかった……わ」 

──何も言わずにサヨナラするよ キミと出会えてすごく嬉しかったな。つらくなるから全て還すよ。笑ったことも、kissしたことも。 

……。 

私は、ただお兄様とお父様とプロデューサーに…… 

──いつまでも忘れないでいるよ ずっとずっと空で見守っているよ。 

……。


479:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 00:07:47.62 :txdUQA/S0

何かが弾けるような音が聞こえて、現実に不意に戻された。 

「あ、あら?」 

私、どこにいたのかしら。 
見回すと、何もない倉庫だった。 
スポットライトの光と、響のよくわからない体液と、トタン製の壁と…… 

相変わらず、ロボットみたいに無表情だけど…… 
拍手をしているお兄様。 
お兄様はおもむろに立ちあがって、また出口へ向かおうとする。 

「おに──」 
「高い公演料だな」 
「えっ」 
「また、来る」 

私、もしかして……。 

「や──」 

「「やったああああ!!!!」」 
みんなが私に駆け寄ってきた。 
気付くと、私は泣いてる皆に囲まれていた。 
あの時とは全く逆の表情で。 

私は、私は……。 
「あれ?伊織、泣いてるの?」 
「う……バカね、泣くわけ……ないでしょ……」


483:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 00:14:42.56 :2OClsfTa0

……で 

「あー!もー!ムカつくわ~~!」 


ホテルの一室で、私は愚痴をもらす。 
「一体いつ来るのよ!お兄様は!」 
「まぁまぁ……」 
真がなだめるように言う。 

「あれから数週間もたってるのよ!私たちの生活は相変わらずホテルに缶詰!」 
地団太を踏むと、ミシミシと床が鳴った。 
ほんっとーにアレで良かったんでしょうね……。お兄様は相変わらずよくわかんないわよ……。 
もう千早も退院してる事でしょうし……日本はどうなってるのよ。まったく。 

気付くと、律子が部屋の隅で手招きをしている。 

いったいな、何の用よ……。


490:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 00:24:20.60 :2OClsfTa0

律子が神妙な顔つきで、私の目の前に立っている。 
口元がニヤリと歪んで、メガネが光っている。 

「伊織、この前の一件で、あなたに言いたいことがあるの、秘密よ」 
「な、なによ」 

律子は笑いを堪えるように続けた。 
「もし、私の小鳥さんに任せた極秘プロジェクトが成功したらね……」 
極秘プロジェクト?何の事よ……。 
「春香が、元気になって765プロがまた再スタートをきれたらね……」 
早く、用件を言いなさいよ。 
「私が、ずっと夢見てた計画があるの」 
律子の瞳が珍しく潤ってた。 
「プロデューサーが亡くなってお倉入りになってたんだけど……」 
「……」 

律子は、私の目を見て言った。 



「新アイドルユニット『竜宮小町』」 
「りゅう……ぐう……?」 
ふぅんなかなかセンスのある名前じゃない 



「あなたを、リーダーにしようと思うわ」 
「へっ?」


496:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 00:33:03.05 :2OClsfTa0

「伊織、何だよ。今度は途端にニヤけちゃって」 
「何でも無いわよ」 
やっぱり、伊織ちゃんはサスガよね。 

ご機嫌に、うさちゃんを撫ででいるとまた革靴の鳴る音が近づいて、ドアが空いた。 
「待たせた」 
お兄様が、時計を確認して入ってくる。時間は正午ピッタリ。 

「本当に待ったわよ!」 
お兄様に大声をあげる、そんな私を無視するかのように続ける。 

「良い知らせと、悪い知らせがある」 
「えっ」 
「どっちから聞きたい」 
一斉に私の方へと、視線が向く。わ、私が決めるの? 

「じゃあ良い方……」 
「日本で765プロダクションのドームコンサートが約半年後に開催される」 

「えっ」 
みんなが一斉に驚いた声をあげる。 


律子が、不意に笑って拳を顔の前で握った。


507:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 00:40:29.70 :2OClsfTa0

……。 

「じゃ、悪い方は……」 
「水瀬の空港機関で事故、不祥事が起きた」 
「えっ」 
「出発が遅れるな」 
緊急事態ってまさかこれのことだったの……? 

「あの事件の完全な揉み消し、更にお前らが空港で暴れたせいで、ただでさえ警戒されていたんだ」 
「じゃあいつになるのよ」 
「そうだな。それも半年はかかるな」 
「えっ」 
「それまで依然こちらで監視は続ける。また厄介事を起こされると困るからな。家族には、水瀬側から報告しておこう」 
「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」 
「何だ」 
「コンサートには間に合うの?!」 
「約束は出来ないな」 

……。


512:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 00:47:59.16 :2OClsfTa0

「すまないな。そのかわり」 

えっ…… 

お兄様は、響の方へと真っすぐ進んでいく。 

「……」 
「うわっなにするさー!」 
そして前髪をすくい上げた。 
「この娘の足と額の負傷」 

貴音の方へ振り返る 
「四条貴音の痕跡。スキャンダル」 
「なっ……」 

美希の方へ腰を落とし、目をじっと見つめた。 
「そして、薬物依存患者が一名」 

そして、ドアの方へ向き直って時計を確認した。 
「半年の間に全て、こっちで治療してから帰れ」 
「お、お兄様……」 
「勘違いするな、別にお前たちのためじゃない」 



「水瀬財閥の令嬢が、落ちこぼれだと困るからな」


526:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 00:57:02.61 :2OClsfTa0

「待って!お兄様!」 
足がピタリと止まる。 
「私たちは、満員のドームで踊るくらいのアイドルなのよ!」 
「……」 
「それをお兄様一人のために開催してあげたんだから!間に合わせないと許さないんだから!」 
「……」 
お兄様は無言のままドアノブに手をかける。 

「ま、待ってください!」 
今度は律子の声が響いた。 
「あの、家族以外に連絡を取りたい場合は……」 
「ダメだな」 
「……」 

律子は、目を瞑って、顎に手をあてて考えた。 
そして、ティン!と閃いた顔を見せた。 
メモに走り書きをする。 

「では、この駅の、このお店に出前を頼んでください。メッセージは一切いりませんから」 
律子は、微笑んで続けた。 
「如月千早の自宅に、牛丼並盛を11人前、お願いします。そのくらいならいいですよね」


536:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 01:13:24.33 :2OClsfTa0

そして半年後…… 

「ギリギリだわ!」 

久々に日本に帰って来たっていうのに、慌ただしすぎよ! 

「真が突然、変なタイミングでトイレに行くからいけないのよ!」 
「何だよ!伊織だってぬいぐるみをあんなとこに置き忘れるから!」 
「あ、あの伊織ちゃん、真ちゃん喧嘩は……」 
「全力でぶっとばすさぁぁあ!」 
「今思えば、伊織の兄上はもしや全て……」 
「美希もう眠いの~」 
「こら!これから公演があるのよ!走りなさい!」 
「んっふっふ→ドキドキすんね」「ね」 
「私は、千早ちゃんに連絡してみるわ~」 
「うっうー!特に言うことなしです~!」 

まぁ、そんなこんなで私たちにはこういうドタバタな、コメディみたいな展開のほうがお似合いよね。 
も~ロストアルテミスの世界も救いたくないし、アメリカにも暫く行きたくないし、あんなことは二度とごめんよ…… 

……にひひっ。プロデューサー、あんたちゃんと見てるんでしょうね。 


私たちの…… 

──きらめく舞台はさらなる高みへ


540:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 01:16:49.97 :2OClsfTa0

伊織・貴音・真・雪歩・あずさ・亜美真美・千早・響・律子・やよい・美希ついでに小鳥パート (TRUE) 

765プロが倒産してもう~シリーズ 

今度こそ、おわり


550:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 01:19:25.81 :2OClsfTa0

これで倒産シリーズはおわり アフターもアナザーももう書きません 


……我ながら駆け足ご都合主義ぱねぇwwww 

これ最終回の前に入れると、間抜けた感じになっちゃうのでまぁこの順番で良かったかなーなんて 
ウソです全部後付けですむしろ最初の春香編以降このSS全部後付けです


560:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 01:22:20.79 :2OClsfTa0

あと貴音の視力といおりんの吐血だけはマジでやっちまった…… 
おかしいトコロは各自で脳内補完しよう! 

あとなんかモヤモヤする部分あったっけ 

BADは飛行機事故で全員死亡って文をひとつ加えると途端にBADになるよ!


570:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/15(土) 01:25:29.37 :2OClsfTa0

あ、閉店です 

今まで、読んでくれた方、支援してくれた方本当にありがとうございました


元スレ
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1318252464
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